New   2024.11.25

ついに“文化”になった漫画/戦後マンガ界のリーダーたち

ついに“文化”になった漫画

その時代、時代において苦闘のなかで一つの領域をつくり上げた人々というのが必ずいるものだ。とくに、文化、芸術分野ではその傾向が強い。そうした意味で最近つくづく感慨深いのが戦後の“漫画”の世界だ。というのも、漫画界の重鎮、ちばてつやさんがこの11月に文化勲章を受賞したからだ。マンガ界では初の文化勲章ということでビックリした人も多かったようだ。かの有名なマンガの聖地トキワ荘の住人たち、手塚治虫、藤子F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫さらには水木しげるらが受章していても不思議ではない、と思うからだ。いずれも戦後の昭和という時代のマンガ界を切り拓いてきた苦労人ばかりだ。小学生の頃、手塚治虫の鉄腕アトムやお茶ノ水博士の模写に熱中していた奴がいたし、触発され売れないマンガ家になった者も。わが世代はまさにトキワ荘世代の漫画家を軸に、多くの漫画家と共に育ち、成長してきたように思う。手塚らを先輩と仰いだちばてつやもしかりだ。代表作“あしたのジョー”はスポーツ漫画の最高傑作だが、戦災孤児の不良少年、矢吹丈(やぶきジョー)がボクシングを通じて戦後の混乱の世をたくましく生き抜く姿に、わが青春期にどれだけ勇気づけられ、また涙したことか。ジョーのライバル、力石徹とホセ・メンドーサとの凄絶な闘いのシーンも目に浮かぶし、力石が過酷なまでの減量でやせこけ、目だけをギョロギョロさせてジョーと闘う姿には驚かされ、最後は何より力石を死なせたことに賛否が渦まいた。今だったらSNSで大炎上したことだろう。ただ、ちばてつやは言う。「戦後の満州からの引揚船や帰国後の過酷な環境のなかで栄養失調など命を落としていく子どもたちを見てきた実体験を力石と重ね合わせた」と。戦争、戦後のむごさを忘れてはならないという思いだったのだろう。“あしたのジョー”が今も色あせないのは、苦境のなかから生きる術を見つけ、たくましく世の中を渡る姿に自らも勇気をもらい、元気づけられるからだ。週刊少年マガジンに連載された“あしたのジョー”の最終回は1973年5月13日号。ほぼ50年過ぎたことになる。そして今、ウクライナ―ロシア、イスラエル―パレスチナ・ガザ戦争などを見るにつけ、ジョーを描き続け「戦争に巻き込まれる子どもたちを二度と出してはならない」のちばの想いに胸打たれるのだ。


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