脈々と続く“田園都市”の系譜

トヨタホームなど5者は首都圏郊外でのスマートタウン「ブリッジライフプラットフォーム構想」を発表

新一万円紙幣の肖像画となり、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」が放映されるなど注目を集める渋沢栄一氏。渋沢氏は、英・ハワード氏による「田園都市」を理想に掲げ、「田園都市構想」を実現するため大正7年(1918年)に田園都市株式会社を設立した。目指したのは、職場と生活を切り離し、緑豊かな環境での暮らしだった。

それから60年後の昭和54年(1979年)、当時の大平正芳首相が「田園都市国家構想」を掲げた。「都市の持つ高い生産性や良質な情報と、田園の豊かな自然や潤いのある人間関係とを結合させ、健康でゆとりある田園都市」を目指したものである。

さらに40年、渋沢氏の構想からおよそ100年、“新しい資本主義”の柱の一つに掲げられたのが「デジタル田園都市構想」だ。


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