「なぜ?」「どうして?」/「分からない」をなくしたい

「なぜ?」「どうして?」

「何故?」「どうして?」。長野県中野市の“立てこもり殺人事件”は個人的にも衝撃的だった。中野市は縁あって何度も取材がてら出掛けた信州の地。りんご、シャインマスカットなど果物で知られ、江戸時代から続く3月下旬の土人形の“中野ひな市”は全国から愛好家が集まり賑わう。5月下旬からの“中野バラ祭り”も見事だ。そして大正、昭和から今も歌い継がれる童謡・歌謡の作曲家、中山晋平、文学者で作詞家の高野辰之の生誕の地としてもまぶしく輝く。高野辰之の「ふるさと」「おぼろ月夜」「春の小川」等。中山晋平は「兎のダンス」「てるてる坊主」「雨ふりお月さん」等々。最近では英国でカズオ・イシグロが脚本を手がけた「LIVING」が黒澤明の「生きる」のリメイク版として映画化されたが、“生きる”の象徴的なシーンとして描かれた主人公(志村喬)が雨中、ブランコに一人乗りながら「ゴンドラの唄」を口ずさむ場面を改めて想起させもした。「命短し恋せよ乙女――」で始まるゴンドラの唄は学生時代、バンカラ先輩たちがよく熱唱していた。このゴンドラの唄の作曲も中山晋平だ。信州中野市のファンを自任する身にとってそんな中野市でのこんどの凶悪事件はショックであり、知己を得た人々の苦衷のほども察して余りある。容疑者の親が地元の名士となればなおさらだ。何故?、どうして?と問いたくもなる。

ただ、いまの世の中こうした身震いするような事件ばかりではない。じっくり周囲を見回わすとあまりにも“分からない”が多い。

家庭では親は子どもを分からないし、子どもは親を分からない。学校では教師が生徒を分からないし、生徒は教師を分からない。企業では社長が社員を、社員は社長が分からない。さらに言うなら政治家は国民を分かっていないし、国民も政治家を分かっていない。社会生活でも世代間ギャップが目立ち、世代間で分からないを連発する。みんなが「分からない」ということが、お互いに不信感を呼んだり、無責任になったり、さらには心の貧しさを呼び、いまわしい事件が起こったりするような気がしてならないのだ。


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