またまた首都機能移転論議/コロナ禍が地方創生を後押し

またまた首都機能移転論議

「神は自然を創り、人間は都会を造った」と言ったのは誰だったか。そして今から200年以上前の18世紀、スイスの哲学者J・J・ルソーは「都市の大建築は、農家の残骸で築かれたものにすぎないことを忘れてはならない」と語り、「首都に大建築が建つのを見るたびに、一地方が廃墟と化すのを見る思いがする」と述べている。大都市が地方、農村を荒廃させていく、という問題が200年以上も前にあったことに驚く。東京という世界に冠たる日本の首都は過激なまでのアップデートを繰り返し、空中に、地下にと膨張を続ける。一方で地方の衰退は著しく、人口流出も加わって消滅可能都市もささやかれる。ルソーの言葉もあながち一蹴するわけにはいかない。

こんな首都と地方のことを思い起こさせたのは、日本維新の会がこのほど「副首都機能整備推進法案」を衆院に提出したからだ。日本の春というのは東日本大震災、阪神淡路大震災など災害イメージがつきまとう。今年は、海外でもトルコ・シリアで大地震が発生。さらに、ロシアのウクライナ侵攻も戦争という大災害であり、ロシア、北朝鮮、中国の核保有3か国に囲まれる日本も対岸の話ではない。リスクマネージメントの面からも、首都東京を軸にした国土のあり方を考えなければならなくなっている。そんな矢先きの日本維新の会の副首都構想であり、大阪ありきの計画ではとか、大阪都構想の衣替えではと、ヤユするむきもあるが、ここは、東京一極集中の危うさについて本気で国民的議論を起こす大きなきっかけにしたらいいと思うのだ。まぁ、首都機能のあり方論議は、これまでも首都機能の一部移転や中央省庁の移転問題を含めてさまざまに議論がされ、一部アクションが起こされもした。だが、どうにも本気度が伝わってこない。首都機能移転にしたって、一時期は候補地までも決まったものの論議は途絶え、今はお蔵入りの状態だ。地方活性化、国土の均衡な発展といったうねるような大きなエネルギーが感じられないもどかしさだけが残るのだ。


この記事はプレミアム会員限定記事です。
プレミアム会員になると続きをお読みいただけます。

新規会員登録

(無料会員登録後にプレミアム会員へのアップグレードが可能になります)

アカウントをお持ちの方

ご登録いただいた文字列と異なったパスワードが連続で入力された場合、一定時間ログインやご登録の操作ができなくなります。時間をおいて再度お試しください。