白瀬中尉の南極探険から110年/平和のシンボル「南極条約」

白瀬中尉の南極探険から110年

明治45年(1912)、氷雪の南極の地、南緯80度5分、白瀬矗の突進隊が氷に突き立てた竹ざおに日の丸が翻った。「日東(日本)男児たるわたし達がはじめて登ったのである。背は低いが、鼻はたかい」。隊長、白瀬中尉の自慢の鼻も随分伸びたのだろう。

白瀬中尉の南極到達から今年はちょうど110年。その節目に合わせたわけではないが、南極観測船「しらせ5002」の船内を見学する機会を得た。南極の昭和基地など南極観測隊の建物を建設してきているミサワホームが、観測隊員として派遣している社員の帰国報告記者会見を同観測船で開催したのに便乗したのだ。ミサワホームは1968年以来南極で実に36棟、延べ面積5900平方㍍におよぶ建物を手がけてきている。建築経験がなくても組み立て、施工できる工業化の生産、施工システムに加えて耐久、耐風、断熱など高い居住性能が評価されてのことだ。マイナス45度、風速60㍍ものブリザードが続く日もある過酷な南極の気象条件に耐える建物の建築は生半可な技術で通用するはずがない。技術力を誇る同社が「ミサワホームの原点は南極にある」と語るのもうなずけるのだ。


この記事はプレミアム会員限定記事です。
プレミアム会員になると続きをお読みいただけます。

新規会員登録

(無料会員登録後にプレミアム会員へのアップグレードが可能になります)

アカウントをお持ちの方

ご登録いただいた文字列と異なったパスワードが連続で入力された場合、一定時間ログインやご登録の操作ができなくなります。時間をおいて再度お試しください。