水清くして魚棲まず/コロナ対策、ベターを探そう
水清くして魚棲まず
ウーンと改めて腕組みせざるを得なかった。通常国会で成立した瀬戸内海の環境保全に関する法律の改正案(改正瀬戸内海環境保全特別措置法)だ。“瀬戸内海”対象のローカルニュースと受け止め、なかには環境保全ということで海をきれいにするための法律改正だろうぐらいに考えるむきもあったろう。だが現実にはまったく逆だ。あまりに瀬戸内の海がきれいになりすぎたので、ブレーキをかけよう、というのだ。瀬戸内海ではかつて工場や家庭からの排水が原因で窒素やリンがふえ赤潮がひん発する「汚れた海」となり、厳しい水質管理基準がつくられ、排水処理技術や下水道の普及とあいまって水質改善は急速に進んだ。瀬戸内の美しい、きれいな海は戻った。ところがだ。プランクトンの栄養になる窒素やリンの減少で、瀬戸内の漁業に異変が起きた。漁獲量は減り、質・量ともに全国屈指の養殖ノリも色落ちする。海水がきれいになり過ぎてしまったのだ。そこで海水の汚れの原因とされ、減ってしまった窒素やリンを戻そう、ふやそうとなった。改正法では窒素やリンなどの濃度を低下させるだけでなく、高めることも可能にしたうえで、沿岸の自治体がそれぞれの海域の実情に応じて濃度の目標値を認定できるようにした。“きれいな海”から“豊かな海”への方針転換だ。
そして、この“きれいになりすぎ”問題は単に瀬戸内海だけではない。いま日本のあちこちで起っている。例えば、静岡県の浜名湖がそう。アサリの不漁が続いており、いまや水揚量はピーク時の1/10以下とか。瀬戸内海と同じく水がきれいになりすぎたのが一因だ。
腕組みをするまでもないが、まさに“水清ければ魚棲まず”だ。江戸時代の狂歌も浮かぶ。《白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき》。悪徳政治家のように言われた老中・田沼意次の失脚のあとの老中を継いだのが白河藩主の松平定信。清廉潔白な政治を目指し、寛政の改革を推し進めた。だが厳しい財政改革が経済を停滞させ、文化も廃れさせ、民衆は反発した。庶民はたとえ腐敗政治でも、生活も豊かで文化も花開いた以前の“田沼時代”が恋しいと狂歌に詠んだのだ。
蚊によるデング熱が流行したとき公園などが閉鎖され殺虫剤が撒かれたが、蚊はもとより昆虫など生息していた生きものもいなくなってしまったという。魚だけでなく生物はきれいすぎると生きられないようにできているのだろう。多少の汚れや濁りは外敵から身を守るのに必要だし、食物連鎖のないところで生きていけるはずもない。人間しかりだ。正しく清廉潔白なのは素晴しいが、あまりに度が過ぎると、他人のアラを見つけてとがめだてするようになり、しまいには友人を失い、孤立してしまう恐れもある。
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