二巡目のコロナ攻略は/コロナ後の大風呂敷を

二巡目のコロナ攻略は

相手がどんな豪腕ピッチャーであろうと二巡目に入れば打者は球筋を読み、攻略の手立てを考える。勝れたチーム、打者の必須条件だ。新型コロナウイルス攻略も同じだ。だが、2年目の半ばを過ぎたのに口惜しいかな日本の対応策は空振りが続く。緊急事態宣言だって3回になれば狼少年の話ではないが、緊張感もゆるむし、むしろ政府を信用しなくなる。1年前から叫ばれていたワクチン開発も日本では欧米の開発状況に指をくわえているだけで「分けて下さい。譲ってください」の情けなさ。日本人がこの1年間で思い知らされたのは日本という国がどうしようもない後進国に落ち込んでしまったという抗いようのない姿だ。哲学者、西田幾太郎の「私は日本国民を相当優秀と信じている。ただ指導者がダメであった」の言葉が今も通用するように感じるのが寂しい。ナポレオン後のウィーン体制を主導したメッテルニヒの「政治とは諸国家の生死にかかわる利害についての科学である」の言葉をこんどの新型コロナは改めて思い知らせてくれたようにも思う。

コロナ攻略は言うまでもなく、コロナ前に戻すことではない。コロナ禍であぶり出された政治、経済、社会、生活のありようをしっかり把握、検証し、その上で新しい日本という国のビジョンと、その実現のためのロードマップが求められるということだ。コロナ禍で露わになった「地球規模のグローバリゼーション」をはじめ「企業や学校のあり方」「地域社会や家庭の役割」「働き方、仕事への意識」等々がそうだ。情報通信技術の発達はオンライン化はもとよりアバターやロボットが活躍する時代の到来を確信させた。一方でネットにあふれるフェイクニュースやヘイト情報の積み重ねは確実に人々の心をむしばんでいく。心の病巣が少しずつ膨れていくように思えてならない。また人と人との絆を希薄化させ、感情や感動など人間が本来持つ熱量を冷却しかねない。産業界もしかり。世界各国の経済封鎖は分業体制に痛烈な打撃を与えた。半導体がそうだし、木材もしかり。生産ラインの停止や縮小を余儀なくされた。グローバリズムも決して甘い水だけではなく、苦い水であることも知った。世界はしたたかなのだ。


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