ハチドリ電力 小野悠希さん 誰かの「ひとしずく」が世界を変える

ハチドリ電力代表 小野 悠希さん

ミャンマーで痛感した何もできない自分
1年で帰国の途へ

そうは言っても不安もある。自分の人生をかけてソーシャルビジネスに携わることはできるのか。その不安を解消するために、ソーシャルビジネスを行う様々な企業のインターンシップを経験した。いくつかの企業で経験を積むなかで不安は消え、ソーシャルビジネスの道を進むことが、小野さんにとって必然になっていく。

小野さんは言う。「ソーシャルビジネスに対して大きな壁があるような印象はありませんでした。恐らく、自分と同じような年齢の方々がソーシャルビジネスをやっている姿を見る機会が多かったので、身近にロールモデルがいたからではないでしょうか」。

大学を卒業した小野さんは、ボーダレス・ジャパンに入社。入社するとすぐにミャンマーへ赴任する。自ら志願しての赴任。現地で小規模な農家を支援する事業に従事することになった。ボーダレス・ジャパングループ内の一社であるボーダレス・リンクでは、貧困で子どもに就学機会さえも与えられない農村部の小規模農家に対して、「選択」と「誇り」をもたらすための事業を行っている。農業に必要な資材、情報、資金、市場を農村部で提供するアグリセンターを運営しており、低利子無担保のマイクロファイナンスなども実施している。

ボーダレス・ジャパンに入社後、ミャンマーに赴任した小野さん(写真中央下段)

入社してすぐにこの事業に従事することになった小野さん。さすがに落ち込むことも多かった。

「今思えば当たり前ですが、最初は何もできずに落ち込んでいました。学生の頃はどちらかと言うと自己肯定感が強いタイプだったのですが、何もできない自分を初めて経験しました。でも、ここで変なプライドを取り除けたのは良かったです。泥臭く、地道にやることの大切さも知りましたから」。

小野さんがミャンマーに行った時は今から事業を本格的に立ち上げようというタイミング。現地の農家と話をして、困りごとなどをヒアリングし、それを事業プランに落とし込んでいくという作業を行っているところだった。小野さんも農家を訪問し、時には農作業を手伝いながらコミュニケーションを深めていく。

小野さんが出会ったミャンマーの人たちは純粋で頑張り屋ばかり。高利の借金をして農家を営む人も多く、貧困の悪循環に陥っていた。こうした状況に対して、小野さん達はあくまでも「パートナー」として、サービスを利用してもらい、貧困の悪循環から抜け出すことを提案していく。口コミでサービスは広がり、農家の方々からも喜ばれたそうだ。

にも関わらず小野さんは1年でミャンマーを後にする。

「仕事は面白かったのですが、生活が合いませんでした。そのうち、家族や大事な人たちと時間を共にしながら、日本で社会問題を解決できる事業をしたいという想いが強まってきました」。

そのことをボーダレス・ジャパンの社長である田口一成さんに相談すると、「生活が合わないというのであれば一度帰国して次の道を考えてみればいいのではないか」というアドバイスをもらった。

自分に合わないなら他の道を模索してみる。今や普通の仕事であれば当たり前のことだが、ソーシャルビジネスと聞くと、勝手に「多くの我慢を強いられるのかな」とイメージしてしまう。

その点も「ソーシャルビジネスには興味はあるが大変そう」という幻想を抱いてしまう要因なのかもしれない。しかし、小野さんの話を聞く限り、ソーシャルビジネスであっても、理不尽な我慢を強いられるようなことは無いようだ。

「一歩踏み出すことは、それほど難しいわけではありません。私も他のボーダレス・ジャパンのメンバーも、ものすごいスキルがあるわけではなく、実は泥臭くやっている人の方が多いです。社会に対する違和感があるなら、そこを無視せずに行動すれば社会は変わっていくのではないでしょうか」と小野さんは話す。

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