2019.10.11

「うちの会社はいらない」と言われたらーーー 櫻田・経済同友会代表幹事の言葉から思い出す

経済同友会の櫻田謙悟・代表幹事は、初の損保業界出身として、その手腕に期待がかかるが、先ごろ日本記者クラブでの会見で「いて欲しい国、いなくては困る国、日本」の実現に向けての活動への意欲を語った。「経済同友会って、どうゆう会?」なんて揶揄されることも少なくない同会だが、いて欲しい、いなくては困る日本の実現に向けて、“Think Tank”機能だけでなく自ら行動する“Do Tank”も宣言した。

日本記者クラブで会見をする櫻田謙悟・代表幹事

ただ、ここで言いたいのは櫻田さんには申し訳ないが、経済同友会のことではなく、いて欲しい、いなくては困る、の言葉から思い出した経営トップのことだ。それはミサワホームの創業者、三澤千代治氏(現・ミサワインターナショナル社長)であり、三澤さんが社長として昭和40年代に社内で発した「うちの会社はいらない」の言葉だ。当時、戸建てプレハブ住宅では業界ナンバーワンの地位を築き、急成長を続けていたミサワホームだったが、年明けの年頭挨拶で三澤さんは「うちの会社はいらない」と発したのだ。ビックリしたのは社員たちで、「また、社長は何と言うことを」と苦笑いし,斜に構えるむきも多かったが、三澤さんはその後も執拗に「うちの会社はいらない」を言い続けた。その時のことを振り返って三澤さんは記者に「決っして奇をてらったわけではない」「自分の会社のありようを考えたとき慄然としたのです」と語った。というのは、正月休みでぼんやり物思いにふけっているとき、突然「うちの会社がなくなったらどうなるだろうか」と考えた。そして自己分析を始めた。「商品は? デザインは? 価格は? アフターサービスは?」。決してミサワホームが圧倒的優位にあるわけではない。ミサワホームがなくなったら、まず同業者は大喜びするだろう。顧客だって別に困らないし、悲しまない。住宅会社はほかにいくらでもあるーーと、自問自答の末に出した結論が「うちの会社はいらない」だった。「ミサワホームは必要だ」「社会的に存在価値のある会社にしなくては」の焦りに似た想いが押し寄せたという。

その顛末は、執拗な社長の言葉にプライドの高い技術陣がまず反応した。頭にきた。沽券に関わる、というわけで、研究・開発テーマを100項目ほど書き出し、連判状よろしく社長に提出した。それを眺めた三澤さんは「すぐにこれを住宅として実用化してください」。出来上がったのが、未来住宅としての数々の夢を盛り込んだドリームハウス「フューチャーホーム」であり、住宅展示会に出展され、大いに話題を呼んだ。技術陣の発奮がやがて他の組織に伝播し、全社に及んだ。

「うちの会社はいらない」は、社内をざわつかせ、大企業病になりかけた組織を緊張させ、活性化したのだ。まあ、結果として、逆説的なやり方で社員の発奮を促したともいえるが、頭にきた、血の気の多い社員たちがいたということでもあろう。「うちの会社はいらない」と言われ、頭をうなだれる組織だったら、本当にいらない会社なのかもしれない。あなたの会社はどうか。

経済同友会の櫻田さんの会見を聞きながら、より刺激的な言葉で「日本の国はいらない」と言ったらどうなるだろう、と考えてみた。経済同友会のメンバーは、「ふざけんな」と頭にきて、必要性を速射砲のように羅列できるだろうか、さらには日本国民が「日本は世界でいて欲しい国だ。いなくては困る国だ」とその理由を並べ立て、炎上するほどの気骨の言葉をぶつけてくれるのだろうかーーー。ちょっぴり不安な気持ちも。

三澤千代治氏