[1990年代]住宅産業が内需拡大の牽引役に性能、健康、価格など新たな動きが
ハウジング・トリビューンで読む40年(中)
創樹社創立40周年企画、ハウジング・トリビューンで振り返る40年の第2回目は、1990年代。戦後の経済成長のなかで急成長してきた住宅産業、また、空前の住宅ブームのなかで高品質化・高性能化を続けてきた住宅は、バブル経済の崩壊により大きな節目を迎える。
阪神・淡路大震災は住宅の安全・安心をあらためて突き付け、社会的には少子高齢化が加速、住宅行政は性能規定や性能表示など新たな方向を打ち出す。住宅産業の構造そのものが変革を迫られていた。
1990年、バブル景気が引き続くなか地価の高騰が続き、公示地価の全国平均上昇率は前年の8.3%を上回る16.6%と暴騰した。こうしたなか住関連各社は不動産事業を強化し、リゾート開発やビル開発が相次いだ。こうした動きは海外へも広がり、三菱地所によるロックフェラーグループの買収はジャパンマネーの強さの象徴となった。
一方、あまりの地価上昇に住宅取得は遠のくことになり、マイホーム取得の適地は郊外へ、さらに郊外へと広がっていく。新幹線通勤も珍しいことではなくなっていた。
過熱する土地投機に歯止めをかけようと、国土法の改正により一年以内の土地転売抑制が図られ、不動産向け融資の総量規制を強化するなど、国が対策に乗り出す。91年には税制改正で「新土地保有税」(地価税)が創設、翌92年に施行され、地価を一気に引き下げることになる。地価は91年から8年連続で下落を続け、「土地は必ず値上がりする」という土地神話は崩れ、利用・活用を重視する意識が広まる。
地価下落は、郊外から遠隔地へと広がっていた住宅地の都心回帰を促し、景気対策は一次取得者をメインとする低価格のマンション・住宅供給が活発になっていった。平均的なサラリーマン世帯が東京圏で新築住宅を購入する場合、バブル期は年収の10倍程度であったが、99年には5.39倍にまで半値近くに下がった。
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