住宅 |  2020.3.11

ポラスグループ 中央住宅、由緒ある建築物の棟下式を開催

空家から分譲住宅へ 歴史を後世に残す

ポラスグループの中央住宅で分譲地用に購入した用地に建っていた空き家が歴史的な建築物であったことから、建物の施主の子孫とその後の住まい手、住宅を建てた設計者の子孫を招いた棟下式(むねおろしき)が東京都練馬区で執り行われた。増え続ける空き家が問題とされる中、歴史的建築物の畳み方の一手法として今回の取り組みは注目されそうだ。


今回、棟下式があったのは練馬区旭町の築89年の住宅。敷地面積325坪に、400坪を超える住宅が建っていた。この地を9棟の分譲住宅で蘇らせようとするのは中央住宅マインドスクェア事業部「相続で発生した空き家への対応として、敷地の売却の打診がご遺族からあった」(中央住宅)ことがきっかけで、売買交渉が始まった。1971年に購入した前所有者は2018年に死去。子どもが相続していたが、管理が困難として1年以上空き家の状態になっていた。交渉した担当者は「最初に訪問した時に、かなりの希少性のある建物ではないかと感じた」という。遺族と交渉を進める中で、この建物に1970年代から住んでいた次男は「岩崎弥太郎さんと何かつながりのある人が建てた建物ということを子どもの頃に聞いたことがある」という程度だった。岩崎弥太郎とは三菱財閥の創設者。

表門から石畳が続き、玄関手前の大きな洋風の応接室、アールデコを意識したデザインなど、当時の華やかさがうかがえる建物

その後、建物の中を整理すると、棟札を見つけた。そこにはこうあった。「建築主 各務鎌吉」。各務鎌吉は、明治から昭和前期にかけて活躍した実業家。後に文部大臣となる平生釟三郎と共に東京海上社(現 東京海上日動火災保険)の海外営業基盤を確固なるものとし、世界の「トウキョウマリン」と呼ばれる礎を作り上げた人物だ。各務の妻は岩崎弥太郎の姪だった。

この棟札にはもう1つの名前が。「設計者 木下益治郎」。木下の代表例は神戸市の旧居留地にある「神港ビルディング」や横浜市の「馬車道大津ビル」など。当時木下が影響を受けたアメリカン・アール・デコのデザインの建築物を多く手掛けた。実は、木下は陸軍技師や逓信省などを経て、東京海上火災社に入社。各務と接点があった。

もともと、今年1月に建物を取り壊す予定だったが、「歴史的な建物なので、調査したい」と売主から中央住宅担当者に相談があり、1カ月延長した。調査に関わった工学院大学総合研究所客員研究員の二村悟氏は「木下は住宅もたくさん手掛けているが、現存する住宅としては、これが最後かもしれない」と話す。建物の中に随所に木下のアール・デコを意識したデザインが施されていた。建物は表門から入ると石畳が続く。玄関手前に大きな洋風の応接室や、離れ茶室、庭園など、当時の華やかさぶりがうかがえた。一方で、空き家になってから1年以上が過ぎ、樋が外れていたり、枯葉が何層にも積もっていたり、朽ち果てていく様が痛々しかった。

こうした歴史的な建築物も、管理の問題から今回のように取り壊されるケースが今後増えるだろう。このため、ポラスグループの中央グリーン開発と連携し棟下式を開催することにし、前所有者と各務、木下の関係者を招き、3者を同じ場に結び合わせた。棟下式後には調査報告などが行われ、各務、木下の生きざまなどが紹介され、それぞれの子孫は、当時の想いを巡らせた。また、前所有者の次男は「父と広い芝生の上で、思いきりキャッチボールをしたり、学生時代には離れの茶室で、友人が泊りに来たり、思い出がたくさんある」と懐かしんだ。

棟下式では、ゆかりのある人たちが当時の想いを巡らせた

敷地にはシンボルツリーのモミジの木がある。今年の秋に9棟の分譲住宅に生まれ変わる中、このモミジは伐採せずに、シンボルツリーとして生き続ける。表門から広がる石畳も寺院が譲り受ける。中央住宅取締役事業部長の金児正治氏は「秋になると真っ赤に紅葉したモミジが、それぞれの住宅の前に広がる。新しい住宅に生まれ変わりながらも、これまでの街並みを大切にし、みなさんの想いを乗せた住宅にしていきたい」と話す。

出席者には敷地内にあった、サクランボの木を使った色鉛筆をプレゼント。取り壊される前の思い出を〝形〟に残した。管理困難を理由に、こうした歴史的な建築物も空き家となる時代。取り壊されても、その建物などを後世に残す工夫の1つとして今回の取り組みは注目される。