日頃から書きなぐっていた取材ノートや備忘メモに埋もれていた諸々を拾い、不定期で自由気ままに綴ってみようと思います。落ちこぼれた種から何か芽が出てくるかな——。

古川興一ブログ「落ち穂ひろい」

新型コロナ確認から6か月、取材メモに残る苦闘の言葉②

大規模クラスターの永寿総合病院、涙の謝罪会見 死を覚悟の医師らの手記も公開

「突然嵐が襲ってきたようなものでした。3月20日前後の発熱者の確認からあっという間に患者と看護師に広がり、陽性患者の隔離や職員の自宅待機、新たな病棟職員の配置など連日対応に追われました。5月9日段階で入院患者の陽性例109名、職員陽性例83名で、このうち43名の入院患者が亡くなられた。亡くなった患者のうち約半数が血液疾患で入院中の方々で、そのほかにも悪性腫瘍を有する方、抗がん剤治療中の方、そして様々な疾患のある高齢者が多く、アビガンやフサンなどの薬剤を使用しましたが救命することができませんでした。特効薬のない現状では個々の免疫力が病状の経過を大きく左右することを痛感しました。職員が感染症の対応に慣れていない、無症状の感染者でも強い感染力を持つことの認識の甘さ、職員間の感染予防策の緩さ、病棟の行き来など病棟の利用方法の不備など今にしてみれば、反省することが多く、加えて当時はPCR検査の設備を持たないため迅速な診断ができなかったことも感染拡大の一因だったと考えています」

湯浅祐二・永寿総合病院院長

新型コロナウイルスの拡大が始まった3月、世間を震撼させたのが永寿総合病院(東京都台東区)の大規模院内感染だった。あっという間に患者、病院職員に広がり、最終的には入院患者109人、職員83人の陽性が確認された。職員の陽性例の多さから明らかに医療崩壊といってよく、死亡者が陽性患者の約4割にあたる43人というという多さにも表れているといえよう。

湯浅祐二・永寿総合病院院長
オンラインで会見を行う湯浅祐二・永寿総合病院院長

湯浅院長が公式に記者会見したのは7月1日だったが、まさに患者、死亡者、家族、地域、病院職員らに対するお詫び会見だった。申し訳ない、責任を痛感しているなどの言葉が何度も口をつく。地域医療の中核病院として「断らない医療をモットーとしてきた」だけにコロナに打ち勝てなかった無念さも滲む。多くの批判も浴びた。職員への偏見・差別も少なくなかった。だが、湯浅院長からは、愚痴も、言い訳もほとんどなく、すべての批判を受け止める覚悟での率直な会見であり、好感の持てるものであった。記者からの責任追及の強い言葉もほとんどなかった。クラスター発生当時、メデイアはもちろん、専門家を標榜する多くの人が、新型コロナの正体がわからず、右往左往していたことを知っていたからだ。責めるのは酷すぎた。むしろ同情論のほうが強いようにさえ思えた。「こうした記者会見は初めてのことでーー」と言いながら、気丈に記者の質問に答えていた湯浅院長だが、声を詰まらせ、ハンカチで目をぬぐう場面を見せたのが、地域の人々の励ましや、職員の感染覚悟で懸命に働く職員の姿に言及した時だった。逆境の中での優しさが、最も心にしみるということだろう。「がんばれ永寿総合病院」のクラウドファンディングも始まり1週間足らずで目標の2000万円が集まったという。

今、新型コロナの入院患者の病棟とは別に、内科系、外科系の病棟を準備、入院患者の受け入れも始まっている。専門領域ごとの病棟区分に再編成することも予定している。多くの代償を払い、多くを学んだ永寿総合病院だが、「当時はわからなかった多くが今はわかってきた。学びもした。コロナに打ち勝つ態勢はできている」と湯浅院長。表情に明るさが戻ってきた。

会見で看護師、医師のコロナ治療における手記も公開した。その一部を紹介する。やはり、涙である。

なかなか正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいました。防護服の背中に名前を書いてあげながら仲間を戦地に送り出しているような気持になりました。

家族がいるわたくしも、自分に何かあった時にどうするかを家族に伝えました。幼い子供を、遠くから眺めるだけで抱きしめることができなかったスタッフ、食事を作るためにいったんは帰宅してもできるだけ接触しないようにしてホテルに寝泊まりする、ひとり親のスタッフもいました。

人の本質は困難な状況に直面するとよりあらわになることを実感しました。困難な状況であるからこそ、思いやりのある行動や、人をやさしく包むような言葉を宝物のように感じました。

看護師

当初は5階病棟のみの集団感染と考えていましたが、4月上旬には8階の無菌室にまで広がっていたことが判明し、その時は事態の重大さにその場に座り込んでしまったことを思い出します。

血液内科医師

勤務中にコロナウイルス感染症に罹患しました。入院後、安静にしていても呼吸が苦しくなり、症状の強さと酸素数値の悪さから死を覚悟しました。家族との面会はできず、妻には携帯電話で「死ぬかもしれない、子供たちをよろしく頼む」と伝えました。妻は大変なショックを受けただろうと思いますが、とにかくあきらめずに治療を受けるように励ましてくれました。

入院期間は3週間以上に及び、退院後は筋力の低下とコロナウイルス感染による肺障害から日常生活を送れるようになるまで数週間のリハビリテーションを必要としました。

内科医師
2020年7月9日