日頃から書きなぐっていた取材ノートや備忘メモに埋もれていた諸々を拾い、不定期で自由気ままに綴ってみようと思います。落ちこぼれた種から何か芽が出てくるかな——。

 

ル・コルビュジェと日本の建築家3銃士

国立西洋美術館60周年の記念展示会で

  


国立西洋美術館の60周年記念として開催されている「ル・コルビュジェ〈絵画から建築へ〉ピュリスムの時代」は5月19日の閉幕間近になっても連日多くの人でにぎわっている。いまさらながらル・コルビュジェの人気ぶりを思い知らされる。展示の中心はタイトルにあるようにル・コルビュジェの原点ともなったパリのピュリスム(純粋主義)運動の時代に焦点を当て、特に幾何学的な透明感のある絵を書いていた世に出ようとする頃の絵画と建築の関係にスポットライトを当てている。彼は、『絵画は創作の実験場』と呼んだほどで、建築の発想をまず絵に求めていたともいえる。

それにしても、国立西洋美術が60周年の歳月を経たことに感慨を持つ人も少なくないだろう。しかも、ル・コルビュジェの作品群が世界遺産に登録され、日本で唯一の彼の作品である同美術館が脚光を浴びることになったのだからなおさらだ。

川崎造船社長の松方幸次郎氏が第一次世界大戦後にその財力に任せて美術品を集めた、いわゆる松方コレクションは第二次世界大戦の敗戦でフランス政府に接収された。だが、戦後の1955年、サンフランシスコ講和条約の調印のとき、吉田茂首相がフランス政府に返還を申し入れた。しぶしぶ応じた仏政府だったが、条件として出されたのが『専門の美術館を作り、保存、展示すること』だった。そして、設計はスイス出身ながら、フランスで活躍していたル・コルビュジェに。だが、彼はこのとき、70歳を超えており、日本にはこられず、図面を送ってきただけ。それも寸法が入っておらず、簡単な図面3枚だけだったと言う。彼は『日本には私の優秀な弟子がいる。これで十分』と語ったとか。その弟子とは、ル・コルビュジェに憧れ、事務所に入って学んだ戦後の日本建築界をリードした、前川国男、坂倉準三、吉阪隆正の3人。必死の思いで図面を読み解き、ル・コルビュジェのスタイルを実現した。まさに持つべきものはよき弟子といったところだ。基本設計はル・コルビュジェかもしれないが、実施設計は日本の3銃士だろう。この3人がル・コルビュジェに学んだことが日本の戦後の建築界に大きな影響を与えた。後に続く丹下健三、磯崎新、安藤忠雄、隈研吾らに脈々と受け継がれているのだ。

「住宅は住むための機械である」「近代建築の5原則(ピロテイ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)」など建築思想のアジテーターのようなル・コルビュジェの存在は、日本の若き建築家にとってまぶしく、まさに憧れだったのだろう。丸メガネ、蝶ネクタイ、パイプが印象的な彼のフアッションも魅力的な建築家像に映ったに違いない。日本に一度も来たことが無く、作品もラフ設計の国立西洋美術館だけ。そしてその完成を見ることもなく、海で心臓麻痺で死んだというル・コルビュジェを見るとき、その日本での人気は、やはり優秀な弟子たちあればこそと思わずにはいられない。近代建築の巨匠として並び称されるフランク・ロイド・ライトが帝国ホテルの設計をはじめとしていくつもの作品を日本にのこし、何回も来日していることを考えるとなおさらだ。 また、西洋美術館も建設に当たっては、建設費を民間の寄付に仰いだが、これにも安井曽太郎や梅原龍三郎らわが国を代表する画家らが協力したと言う。国立西洋美術館とル・コルビュジェをめぐるエピソードは尽きない。中庭に何気なく置かれているロダンの『考える人』を眺めながら、近代建築の来し方を考えてみるのも悪くない。

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