反骨の“太陽の塔”/逆風での再びのコンニチワ

反骨の“太陽の塔”

〈コンニチワ コンニチワ 西のくにから コンニチワ コンニチワ 東のくにから~〉TVやラジオから三波春夫の「世界の国から」の歌が盛んに流れていた。ほんの6年前の東京オリンピックの余熱も引継ぎ、東京の次は大阪だ、と関西の張り切りようは半端じゃなかった。そして1970年の大阪万博は大成功をおさめた。世界各国からのインバウンド6421万8770人、1日に85万人以上が詰めかけた。

宇宙船、ロボット、TV電話、米国アポロ宇宙船が持ち帰った月の石、そしてコンパニオンのミニスカートの制服などが華やかにケンを競い、斬新なデザインを誇る国内外のパビリオンが人々を魅惑した。この頃の日本は本当に勢いがあった。“一億総中流”が唱えられ、日常の生活にそれなりの希望を持つことができた。コンニチワ コンニチワ の歌声と手拍子で、日本中が浮かれていた。万博のテーマ「人類の進歩と調和」も納得感のあるものだった。とくに、万博会場のシンボルゾーンに建てられた70㍍の高さを持ち、夢の未来都市と呼ばれた真ん中にヌクッと立つ「太陽の塔」は人々を驚かせた。「芸術は爆発だ」で知られる岡本太郎の設計によるこのタワーは建築界の大御所、丹下健三の設計による大屋根を持つテーマ館を突き破った。正面中央と上部、背面に三つの顔を持ち、左右に腕を広げる。そして塔の内部は“生命の樹”と呼ばれる生物の進化のテーマに沿った怪奇なモニュメントが置かれ、さらに地下には「地底の太陽」と呼ばれた4つ目の顔が置かれていた。ちなみに、塔の頂部の顔は金色に輝き未来を象徴する“黄金の顔”、正面の顔は現在を象徴する“太陽の顔”、そして背面は過去を象徴する“黒い太陽”を意味した。

ただ、岡本太郎は万博のテーマ「人類の進歩と調和」には反発していた。「何が人類の進歩だ。人類は少しも進歩などしていない。」縄文時代の土偶に美を見い出した岡本太郎らしい反骨の現れだ。テーマ館を設計した丹下健三はこの太陽の塔を屋根で覆う構想だったが岡本は自説を曲げず、丹下と岡本が取っ組み合いのケンカまでしたと、騒がれた。最終的には岡本に丹下が一歩を譲るかたちになったが、当初から岡本は「ベラボーなものをつくる」と公言。当時も“万博開催反対”の運動があり、“ハンパク”(反博)の言葉が流行したほどだが、岡本はこのハンパクを逆手に取り、「いちばんのハンパクは太陽の塔だ」と語ったという逸話が残る。

とまぁ、1970年の大阪万博を書いてきたが、口惜しいながら、当時の自分は駆け出し記者、開催地も大阪で、万博取材はなかった。伝聞だけの、まさに“百聞は一見に如かず”の弱みだ。ただ、会期中での太陽の塔は見られなかったが、大阪・千里の万博記念公園にレガシーとしてそびえるその姿は大阪出張の際に幾度も対面し、圧倒された。当時ささやかれた“万博へのテロ”とさえ言われたこのタワーが今も残ることは奇跡のよう。国の登録有形文化財にもなった。

逆風での再びのコンニチワ


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