民藝と住まい【後編】大きく流れる時代のなかで見直される“暮らし”

明治大学理工学部 准教授 鞍田崇

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鞍田崇
1994年、京都大学文学部哲学科卒業、2001年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。日本学術振興会特別研究員、総合地球環境学研究所特任准教授などを経て、2014年から現職。主な著書に、『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社)、『道具の足跡-生活工芸の地図をひろげて』(共著、アノニマ・スタジオ)などがある

──民藝が求められている背景には、暮らしに対する人々の意識の変化があるのでしょうか。

意識という点では、社会の歯車のなかで無意識に流されていることに対して、どこか違和感を覚え始めている人が存在しているのは確かです。前回お話したように、“民藝”という概念をつくった思想家の柳宗悦氏や陶芸家の濱田庄司氏らは、精巧に作られたデザイン性のある高価なものが上手物(じょうてもの)と呼ばれ、民藝品のような日常づかいのものが下手物(げてもの)と言われた時代に、あえて民藝品に注目しています。民藝を暮らしに取り入れたいと考える人の中には純粋に器の形や色使い、自然素材の持っている温もりに惹かれている人がいる一方で、柳氏らのように世間一般の常識や社会的通念をなんとなく受け入れることに対して疑問を抱くとともに、与えられたものでなんとなく暮らしを営むことに対して、一旦身を引いて考えてみようとしている人もいるのだと思います。

かつての有名な話の一つに、とある学者の先生が農村部に入った際、おばあさんが手作りのざるに入っていたみかんを先生に出すときに、わざわざプラスチック製のかごに入れ替えて出したという話があります。その先生はプラスチック製のかごよりも手作りのざるの方が温かみや味があって良いと思ったそうですが、当時は手作りのざるなどを使うことが貧しい象徴だとされていました。茅葺屋根もかつては貧しさの象徴として扱われた時代があり、トタン屋根や瓦屋根にすることが良いとされていたのです。

しかし今は手作りのかごやざる、茅葺屋根も学者の先生のように味があって良いという意識を持つ人が増えてきているのではないでしょうか。ある時期では豊かさの象徴のように扱われたものに対して、果たしてそれが必ずしも良いのかという疑いを抱く人が出てきているのだと思います。与えられたものを当たり前のように受け入れるのではなく、一つひとつ丁寧に見直そうとする人が増えてきているのではないでしょうか。

──物事をただ受け入れるのではなく見直そうとする動きがあるなか、暮らしをつくるうえで大事になってくるものは何でしょうか。


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