2023.1.30

屋上開発研究会、34年の活動に幕。屋上緑化、緑化建築の普及に足跡残す

どうだろう。屋上緑化と言って、それ何?と首をかしげる人は少ないのではなかろうか。すっかり一般化した言葉ともいえよう。ただ、その「屋上緑化」を普及させた功労者(?)はNPO法人「屋上開発研究会」という団体であることを知る人はそんなに多くはないかもしれない。まさに知る人ぞ知る、といった団体である。設立は、平成元年(1989)だから34年間にわたって活動を続けてきたことになる。その屋上研がその役割を終えたといわんばかりに、このほど活動にピリオドを打ち、店仕舞いした。その区切りとして1月24日に「空から都市を考える」と題したシンポジウムが開催された。そこでは、これまでの34年間の活動を振り返るとともに、東工大名誉教授の梅干野晃氏による「これからの建築緑化に求められるもの」と題した基調講演、そして「建物上緑化空間における新たな時代の展望を考える」をテーマのパネルディスカッションも行われた。解散というととかく暗い雰囲気になりがちで、自然消滅のようなケースもあるが、その意味では屋上研は、シンポジウムを開催することで、前を向いてのある意味、発展的解消というニュアンスを押し出したといっていいのかもしれない。

知る人ぞ知るといったが、屋上研は建築、緑化・造園業界では、ちょっと知られる存在だった。というのも、「都市をアーバンオアシスに」をキャッチフレーズに “屋上” というピンポイントに焦点を当てたユニークな業界団体という珍しさ。加えて、当時はバブルの最盛期、地価は上昇し、土一升、金一升とまで言われた中で、建物の屋上を未利用空間ととらえ有効に活用しようではないかとの考えが目から鱗だったのだ。建設省(現・国土交通省)の指導も得て、建築、緑化、防水など関係企業約30社以上が参加しての船出であり、異業種の集まりということも注目された。いざ屋上開発となれば、様々な分野の知恵と技術が必要となるからだ。なかでも屋上利用ですぐに頭に浮かぶ屋上庭園に代表される緑化にしてもそう簡単ではない。一筋縄ではいかないのだ。屋上というニッチな分野でありながら技術面での課題が噴出、その解決を迫られることになる。なにしろ学問、業界領域が違うのだ。屋上は建築、緑化は園芸、造園分野だ。屋上を緑化するといっても建築構造の面から重量や防水、安全、防風などの問題が出てくる。緑化も土壌、樹種、防根、潅水・排水対策が重要になるなど。ある意味、建築と造園・園芸の融和をいかに図るかの命題を突き付けたのが屋上緑化だった。軽量化が求められる屋上だけに人工軽量土壌の開発が求められたし、緑化でも屋上に適合する植栽基盤の在り方や樹種は何かなどの難問の数々が。屋上研はこれらの課題に真摯に向き合い研究開発に取り組んだ。だが、学問領域が違うのだから当時、屋上という人工地盤での緑化などの研究に取り組む学者、専門家はほとんどいなかった。それでも異端児はいる。明治大学農学部教授の輿水肇氏、東京工業大学大学院教授の梅干野氏らだ。輿水氏は人工地盤での緑化について海外事例なども含め研究論文を発表していた。梅干野氏は都市のヒートアイランド対策として屋上緑化に注目し、実証実験を行っていた。屋上緑化、屋上開発の理論武装を確たるものにし、エビデンスを提示し、社会的認知度を確立したのも輿水、梅干野氏らがいたからこそだ。そうした成果に基づく行政など各界への提言やフオーラム、コンペなど普及活動は屋上研への高い評価と信頼につながった。東京都など多くの自治体が屋上緑化の義務付け、優遇策などに乗り出したのも、屋上研が一翼を担った。国交省も毎年、屋上緑化の施工統計を取るようになった。屋上緑化は、すっかり馴染みのある言葉となり、大都市の再開発プロジェクトの多くが屋上緑化を取り入れた。さらには壁面緑化も導入し、緑化建築、環境建築の名も唱えられるようになった。設立当初に不安視された技術的な問題もほぼ解決しているという安心感がそこにはある。建築、緑化の両面を身に着けてもらおうということで屋上緑化コーデイネーターの資格制度も作り、人材育成にも取り組んだ。これまでに1681人のコーデイネーターが誕生している。だが、実際は年々、受験者は減少し続けている。ただ、これは屋上緑化や建築緑化への興味が薄れたということではなく、むしろ逆で屋上緑化が一般化し、設計、デザイン、施工など関連する技術が普及したという側面が強い。屋上開発研究会が一定の役割を終えたとして、店仕舞いに踏み切った理由の一端をうかがうこともできる。その意味では、ただ惰性で、新しい活動を見いだせないまま、ただあるだけの団体も多い中、潔さを褒められていいのかもしれない。

屋上開発研究会がまいた種は今、環境建築への大きなうねりとなってさらに昇華しようとしている。カーボンニュートラルへの貢献はもとより、美しい都市景観の創出、さらには緑化を軸にした新しい魅力的な屋上空間の開発等々、その基盤に屋上開発研究会の地味ながら着実な活動があったからと見たい。ニッチで小さな分野なのに同研究会の活動を温かく見守り、協力を惜しまなかった建築界の大御所だった内田祥哉氏、芦原義信氏そして屋上緑化のファーストペンギンの役を担った輿水肇氏ら関係した多くの人が今は鬼籍に入った。天空で、屋上開発研究会の幕引きをどう見ているか。屋上緑化ストックの維持・メンテナンス・再生、さらにはあるだけの緑化ではなく、緑化の活用もタウンマネジメントの視点で取り組むことの重要性も増すだろう。もしかしたら、屋上研のDNAを引き継ぐ新たな舞台へのカーテンコールの拍手を送っているかも。

パネルディスカッションの模様