型破り大工の呼びかけに 志ある大工が集結
「大工の会」が発足
「大工の会」という新しい組織が創設された。発起人は、自らも大工として現場に立ち続ける木村光行さん。大型パネルの委託製造などを行うウッドステーションの「ハーフ社員」でありながら、木村建造(千葉県千葉市)の社長でもある木村さんは、「大工」のフリガナを増やしていきたいという。
2022年6月30日、千葉県千葉市の幕張テクノガーデンで「大工の会」の発足式が開催された。日本全国から30名以上の大工が集まり、オンラインではオーストラリアで大工業を営むメンバーも参加した。
集まった大工のほとんどが、SNSなどを通じて発起人である木村さんとつながった知り合い。昔ながらの手刻みにこだわる大工からITを活用した施工などを模索する大工まで、大工という職能が一言で表現できないことを証明するかのような顔ぶれである。
木村さんは、なぜ、大工の会の立ち上げを考えたのか。その問いに対する答えは、木村さんという型破り大工が歩んだ道程にありそうだ。
大好きな大工のおじさんの「大工にはなるな」という教え
大工の息使いを間近に感じながら幼少期を過ごした木村さん。お祖父さんもお父さんも大工。東京都江戸川区にあった自宅には作業場があり、大工達の仕事ぶりを見ながら育ち、物心付いた頃には「大工になる」と決意したという。
その後、お父さんが独立したこともあり、厳しい家計の中でサッカーに夢中になっていった木村少年。この頃、自宅ではなく、お父さんが雇った山形県出身の大工のおじさんと寝食を共にしていたそうだ。
「食事は親の家でしたが、ほとんどの時間をおじさんと過ごしました。夕食後に一緒に居酒屋に行ったり、休みの日に釣りに行ったり、本当大好きでしたね」と木村さんは振り返る。しかし、そのおじさんから、「大工にはなるな」と繰り返し言われた。その発言の真意を聞いたことはないそうだ。現場に立つ者だからこそ、漠然と大工の未来に対する危機感を抱いていたのかもしれない。
少年から青年への階段を上りはじめた中学二年生の時、大好きだったおじさんが他界する。木村青年はおじさんのノミを譲り受けた。
進学校に進み大学を目指すという道もあったが、サッカー推薦により高校に進学した木村さん。大工になるという想いは揺らぐことなく、「高校でサッカーをやりきって、大工になろう」と考えていた。
高校から専門学校へと進学し、卒業後に父親のもとで大工の道を歩み始める。大工としての技術を磨き、お金持ちになる―。その想いを抱きながら、技術を磨き続けた。
コンビニのガラスに映った自分の姿 店舗分野で新しい経験
大工として一通りの仕事をこなせるようになった23歳の時。いつものように仕事帰りにコンビニに立ち寄った。ガラスに映る自分の姿を見た時、「絶望的な感覚に襲われた」という。髪はシルバーに染め、耳にはピアス。ニッカポッカの作業着を着た自分の姿に対する既視感。
専門学校生の時にバイトをしていた居酒屋で、仕事終わりに飲み来ていた作業員の姿とそっくりだったのだ。「その作業員の方々が悪いということではなく、自分が描いていた大工像とあまりにかけ離れていたのです。『大工になるな』というおじさんの言葉が蘇りました」。
木村さんは言う。「プレカット材で躯体を組み、既製品のパネルや床材を施工する。こうした仕事を一通りこなせるようになると、だいたいの現場は問題なくこなせるようになります。山を登り切った後、どうすればいいのか―。多くの大工がその時点で悩みはじめます。手刻みにこだわって技術を極めていくのであれば、なかなか山頂には到達できません。しかし、一般的な大工の場合、気が付くと山頂に到達してしまい、それ以降、技術が必ずしも金にならないことを痛感するのです」。
そこから木村社長の挑戦がはじまる。知り合いの居酒屋オーナーが、新しい店を出すと聞き、「日曜ならお金はいりません。手伝わせてください」と申し出た。店舗設計などやったことはなかったが、内装デザインも提案。そこから人脈がつながっていき、数多くの店舗設計と工事を請け負うようになる。
店舗を経営する人たちとの会話のなかで、営業の仕方や会話手法なども学んだ。その後、猛勉強し設計士の資格も取得。木村さんの仕事領域はどんどん広がっていく。
木村さんの場合、山頂に到達した姿を想像して絶望感に直面したことで、別の山に自ら橋をかけて違う山を目指しはじめたというわけだ。こうした柔軟さを他の大工にも知らせたい―。それが大工の会をスタートさせた理由のひとつだという。
CLT、大型パネルなど 自分なりに再び技術を磨く
木村さん、実は日本でCLT建築を初めて建てた大工でもある。国家プロジェクトに参画する形で、CLTの建築に携わったのだ。
「大工は自分の手と道具を駆使して、材料を建物に仕立てていきます。ところがCLTは自分の手ではどうにもならない。どうやって施工する場所まで運び、ズレなどを修正していくのか。これまでの現場での経験や知識を生かしつつも、自分なりに考えながら施工していきました。そうした経験の中で、これも大工の役割なのだと感じました」。
次に木村さんが目を付けたのが、ウッドステーションの大型パネル。「在来工法をオープンな形で工業化する」という同社では、工場でサッシや断熱材を組み込んだ大型パネルを製造し、現場での施工手間を省くための事業を展開している。
一聴すると大工の仕事を奪うのではないかと思ってしまうが、同社の会長であり、大工の会の「塾長」でもある塩地博文さんは、「大型パネルは大工を救う」と断言する。
多くの木造住宅には施工図というものが存在しない。設計図はあるが、その設計を具現化するために、「こういう形で施工してください」という指示書がないのだ。大工は、自らの技能と経験をフル活用しながら、現場で頭の中に施工図を描いていく。そして、どんなに未熟な設計図であっても、自らの腕で文字通り〝納めていく〟。
木材の収縮などによって発生したズレも現場の大工が納める。施工図がないことで発生する無理難題を納めているのは、現場の大工であると塩地会長は指摘する。「大工が現場で手が止まっている姿を目にすることがあるが、あれは頭の中で施工図を描いている証拠。その能力に対する対価は支払われない。最も知的な生産を行っている最中なのに、その点を理解しない者から、『早く手を動かせ』とさえ言われてしまうのです」(塩地さん)。
大型パネルは、大工が頭で描いた施工図を対価が発生するものとしてアウトプットしていく。大型パネルの施工現場では、現場で大工が微調整をしながら納めていく光景を目にすることがない。それは、工場での製造段階で、大工の頭の中にある施工図を反映させているからだという。
例えば、大工が近隣の仲間と協力して大型パネルを製造するようになれば、これまで全く対価を貰えなかった頭の中の施工図まで含めて大工の取り分となる。
木村さんは、塩地会長からの「You、うちに来ちゃいなよ」というスカウトを受けて、ウッドステーションの〝ハーフ社員〟となった。またひとつ、違う山に橋をかけたのだ。
大工のフリガナを増やす 技術さえあれば何をやってもいい
木村さんは、ステレオタイプの大工と一線を画す。そのことは木村さんが辿ってきた道程を見れば一目瞭然。
木村さんにとって大工とはどういう存在ですか―。そう問うと、「宮大工のように果てしなく技術を磨いていくのも大工だし、ICTを活用して新しい施工方法を見出そうというのも大工。大工の会では、それを知らせていきたい。絶望する必要はない。自分のように違う山を見つけてもいい。ただし、大工である以上、技術は習得しなくてはいけません。技術という『型』を習得したうえで、自分のように破ってもいいし、突き詰めてもいい。大工のフリガナを増やしていく。それが大工の会をやろうと思った一番の理由かもしれません」という答えが返ってきた。
これまでも「大工育成」を掲げた様々な取り組みが行われてきた。木村さんが仲間たちと一緒にやろうとしていることは、そうした取り組みとは一線を画す。大工自身が大工の存在意義や社会的な役割などを再定義し、いつの間にか築かれていた大工の「型」をあえて破っていこうとしている。そのために、まずは現場に立つ大工同士のネットワークを構築していこうというのが、大工の会を設立した目的なのだろう。
高い志は人を自由にする―。大工の会の発足式で木村さんが語った言葉だ。なりたい職業のトップの座から陥落してしまった大工という職業。その楽しさや尊さを社会へ発信するのは、こうした型破り大工達なのかもしれない。
ちなみに、木村さんは人生の節目毎に、幼少期を共に過ごしたおじさんの墓前に行くという。大工の会の発足も報告したそうだ。
「大工になるな」と語ったおじさんに見えていた大工の未来像。木村さん達は、それを変えるための一歩を歩みはじめた。
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