2020.7.22

コロナ禍で損なわれるものへの不安

人が人であるための、「移動の自由、集う自由」

コロナ禍が長期化する中で飲食業など中小企業への打撃は大きく、生存基盤を破壊するほどの苛烈さだが、同時に外出自粛や3密回避などの制約が国民一人一人への精神的ストレスの増加をはじめ社会生活に与える多大な影響への懸念が噴出してきている。

新コロナウイルスの第2波、3波の感染拡大がささやかれる中、心配されるのが過剰なまでの身体的制限である。すでに緊急事態宣言下においても、外出自粛による身体活動不足や精神的ストレスの増加による健康影響、メンタルストレス増加・悪化による虐待などが多くの問題が関係学会から指摘されている。一斉休校による子供たちへの影響も計り知れない。

類人猿の研究者であり、京都大学の総長、日本学術会議の会長でもある山極壽一氏は「生活を豊かにするために必要な自由は集まり、移動し、対話することで成り立つ。この自由は人間だけが持つものだ。この自由が保障されなければ人間ではない。それを保障することで社会が成り立ってきた。ところが今はコロナ感染対策でそれが侵されつつある。特に子供たちへの影響が心配だ。子供たちは集まり、仲間を作り、話し合うことで成長する。教材と向き合うだけが勉強ではない」とここ数か月のコロナ対策への懸念を語る。

東北大学名誉教授の糠塚康江氏も「感染症対策によって“人間交際”の危機、そして移動の自由、集う自由の制限による生命・健康の危機が懸念される」とし「リアルな身体的活動を回復し、必要最小限の人権制約にとどめることが大切」と訴え、平成13年5月11日の熊本ハンセン病国賠訴訟熊本地裁判決『自己の選択するところに従い社会の様々な事物に触れ、コミュニケートすることは、人が人として生存するうえで決定的重要性を有する』を引用し、「それこそが民主主義の基盤である」と語る。ある意味、経済活動を再開するためにもまずはその前に、いかに人々が集い、移動する自由を回復させるかが大切になるということだろう。

糠塚康江氏
糠塚康江氏

今、ウィズコロナが唱えられ、感染症対策の長期化がささやかれるだけに、感染症対策と国民生活・社会経済生活の両立をいかに図るかが大きな課題となるが、「感染症対策を行いながら、人々が集まる自由を保障する環境を整えていくことが大事になる」のは間違いない。

山極壽一氏
山極壽一氏

そして、現下の対応としては「移動の自由を全国一律に制約するのは疑問だ。感染状況に応じて地域ごとに対応することが望ましい」(山極氏)。「感染症がどの段階にあるのか、そのための方策をどう取ったらいいのかなど、ちゃんとしたエビデンスを示さないことには国民は納得しないと思う」(糠塚氏)の言葉も確かだろう。

感染拡大がなおも続く中、「GO TOキャンペーン」もスタートしたが、正体不明の新型コロナへの不安感は依然と強く、その一方で要請の強い経済・社会活動の回復もまだ手探り状態というのが現状。それだけに様々な同調圧力が加わり、一方に偏重し、流されることの危険性を認識することは、将来の感染症対策に禍根を残さないためにも必要となる。 リスクコミュニケーションを含め、生命・生活にかかわる問題にどう向き合い、対策を講じていくべきかは、今だからこそ国は考えておかなければならないことなのだろう。

糠塚氏が記者会見で示した図
糠塚氏が記者会見で示した図。糠塚氏は「リアルな身体的活動を回復し、必要最小限の人権制約にとどめることが大切」と訴えた。