2020.1.23

あの「風の電話」が映画化。東日本大震災から9年、3万人が訪れた 亡き人に想いを伝える天国に繋がる電話

1月17が阪神淡路大震災から25年、そして3月11日は東日本大震災から9年目。日本の早春は悲しい災害の碑と重なる。人の命や暮らしの尊さを思い知る、忘れてはならない記憶と記録の日と言えるだろう。

時をあわせるように「風の電話」が映画化され、1月24日からの公開に先立って試写を観た。風の電話──を知る人は少なくない。折に触れ新聞記事になったし、ドキュメンタリーとして放映されてもいる。CDが出たし、書籍も刊行された。

東日本大震災、津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町。海を見渡す丘の上に電話ボックスがある。ガーデンデザイナーの佐々木格さんが死別した従兄弟ともう一度話がしたいとの思いから設置した。中には電話線のない黒電話が一台。電話を手に今は亡き人に語り掛け、想いの内を放つ。人知れず、「天国に繋がる電話」として広まり、大震災以降3万人を超える人々が訪れていると言う。電波ではない。風が言葉をはこんでくれる。

映画「風の電話」は、この電話をモチーフにした。監督はフランスなどで評価の高い諏訪敦彦。主人公はオーデションで選ばれた、最近はモデルとしても活躍する女優モトーラ世理奈が抜擢され、脇を西島秀敏、西田敏行、三浦友和ら名優ががっちりと固める。物語は東日本大震災で家族を失い、広島の伯母の元に身を寄せる主人公の女子高生ハルが、伯母が倒れてしまう喪失感の中、震災以来一度も戻っていないふるさとの大槌町にひとり訪れる姿を描く。広島から大槌町までの長い旅路、憔悴し道端に倒れてしまったり、ヒッチハイクをしながらの道のり。途中で会う人々との触れ合い、会話を通じての人々が抱える苦しさ、悲しさ、そして優しさなど人生の機微が淡々と描かれる。まるでロードムービーのように出会う人々との場面を切り取っていく。それぞれがオムニバスのように繋がり、心に残る印象的な場面をつくり出す。家族を失った喪失感、そして言葉の少ない会話のなかでの透明感、素朴さがにじみ出るハルの演技が新鮮。モトーラ世理奈を起用した監督の慧眼だ。ハルを優しく包み込むのが三浦、西田、西島と言った名優たちで、改めて脇役があってこその映画、演劇の存在を痛感させられる。

ネタばれになるので多くは触れないが、津波に流され基礎だけが残る家の跡にたどり着いたハルが「ただいまといってるのに、なぜお帰りなさいと誰も言ってくれないの」と泣き崩れ、仰向けに寝転んだままの姿は辛い。そしてラストシーンは帰りの駅のホームで知り合う少年から「風の電話」のはなしを聞き、一緒に大槌町の丘の上の電話ボックスに向かう。ぽつんと立つ電話ボックスは美しい。少年は交通事故で亡くなった父親と話すために。そしてハルは、線のない受話器をおずおずととり、今はなき家族に世話になっている伯母さんが病で倒れたこと、自分が高校生になったこと等々──寡黙だったハルが涙ながらに、堰を切ったように言葉を絞りだし、ぶつけ、訴える。主題の「風の電話」はこのラストシーンではじめて出てくるのだが、ここへくるまでの様々な人との出会いもこの電話ボックスに導き、ハルのメッセージをより際立たせるための伏線のような気がしてくる。話し終えて出てくるハルの表情は憑き物が落ちたかのような柔らかさ、豊かさに満ち、はっきり生きる勇気も芽生えている。その時、ハルの声を天に届けたことを知らせるかのごとく丘を風が吹き抜けていくーーー。ハルの本名は、春が香る「春香」であることも知る。

映画は、クルド人に絡む難民問題、福島原発事故、ボランテイアなど今が直面する問題のいろいろもさらりとだが映し出す。見終わった後に、改めて登場人物やシーンに無駄のないことに驚く。諏訪監督は俳優たちにその場で湧き上がる演技やせりふを求めるいわゆる即興芝居を信条にするというが、ある種ドキュメンタリーのような感じを覚えるのもそのためか。監督、そして俳優の力量に感服するほかない。

「あの時もっと伝えておきたかった」「頑張っている、幸せな今の自分を報告したい」「ありがとうと言いたかったのに」「たくさん相談したいことがあるのに」──等など、話したいことがある亡くなってしまった大事な人が誰にもいるはず。「風の電話」は「生きる勇気」に繋がる電話なのかもしれない。新年早々、よい映画に出会えた。