2019.11.27

朝日新聞元専務が「夕刊廃止しませんか」の大胆提言 厳しい新聞経営の実態

 

「朝日、毎日、読売の三大紙の皆さん、夕刊を廃止しませんか」──こんな刺激的な呼びかけが仲間内で話題だ。それと言うのも、この発信元が朝日新聞の専務、TV朝日の社長、会長を務めた君和田正夫氏だからだ。小生とは一線の記者時代、建設省の記者クラブの部屋で背中あわせだった関係から冗談話ばかりをしていた仲。トン、トン拍子に出世し、記者から経営者への階段を上り詰め、平成25年に退社。悠々自適かと思っていたが、ジャーナリスト魂が頭をもたげたらしく、WEB上で「独立メデイア塾」を主宰、塾頭として健筆を振るっている。「夕刊を廃止しませんか」もこの中での意見だが、経営者として朝日新聞を引っ張ってきた同氏が言うのだから説得力がある。話題になるのも当然と言ったところだ。

それにしても君和田氏をして夕刊廃止を唱えさせたほど、新聞経営は厳しくなっていることに改めて驚く向きも多いだろう。かつて朝刊・夕刊のセット購読率は80~90%はあったが、今や30%台という。夕刊を取らない読者が急増しているのだ。まあ、夕刊だけでなく、朝刊も取らない、つまり新聞を購読しない人たちが増えているのも事実なのだが。

それはともかくネットの台頭でニュースの専売特許であった新聞が急速にその役割を減じている。特に朝刊はとっても夕刊は取らない読者が増えていることで、新聞編集のあり方を変えざるを得なくなっているのだ。つまりセット率が30%では「夕刊に掲載したニュースは読者の3分の1にしか届いていないこと」になり、「そこで(重要記事については)圧倒的多数を占める(朝刊)読者のために(夕刊記事を)再掲載する。新聞社からすれば、セット読者は優良読者なのだが、その読者が二度読まされるという犠牲になっている」というわけなのだ。一方で、夕刊には文化・学芸などの売り物記事が多いのだが、朝刊だけの読者には「売り物」が届かなくなってしまっている。「記事を書く学芸部、文化部の記者にとっても辛いことと思う」。

そこで夕刊を廃止し、朝刊と合体しろの提言となる。それによって、「薄っぺらな朝刊が厚くなり、読み応えがでてくる」というのだ。今後も夕刊は朝刊以上の速さで減り続けるだろう。産経新聞が2002年に東京地区で夕刊を廃止したとき、新聞社の衰退を物語る代表例のように言われてきた。だが同氏は「今、そのようなメンツを考えている余裕はないはず」とピシャリ。「取材網の縮小、人員の整理といったことよりも夕刊をやめる、そして朝刊に全力投球する。それが新聞経営に課せられた最大の課題でしょう」と喝破する。そして「過去の栄光を忘れられずに自滅の道を歩いている足元をじっと見つめるべき」とまで。

新聞経営を知る君和田氏の言葉だけに重い。そして、新聞を愛すればこそなのだろうが、メディアが多様化するなか、つくづく新聞経営の厳しさを思い知らされた感じだ。新聞派としては寂しさが募る。だが、ジャーナルの意義、役割は決して小さくはなっていない。むしろ混迷の内外情勢を見るとき、調査報道など言論機関としてのジャーナリズムの役割は高まっている。新聞記者が萎縮して欲しくない。