適者生存 技能者をつなぐためにブルース・リーになる
曳大工(曳家岡本 代表)岡本 直也 さんに聞く
自らの仕事を通じて、何かをつないでいく。時に伝統であり、時に技術であり、時には人と人の縁かもしれない。曳大工である岡本直也さんは、その技能をつなぎ、思い出が詰まった家屋を後世へとつなぐ。ある時、「俺はブルース・リーになる」と覚悟を決めた岡本さん。その真意を聞いた。
曳家(ひきや)。建物を壊すことなく、土台から上の部分を持ち上げ、移動させる。こうした仕事を生業とする人たちがいる。その一人が曳家岡本代表の岡本直也さんだ。
曳家と一言で言っても、大きく2つの流れに分かれる。重量とび職から派生した「重量とび系曳家」と、船大工、宮大工などの大工から派生した「大工系曳家」。岡本さんは、後者の大工系曳家。曳大工とも呼ばれる技能者だ。
重量系とび曳家が大型の工具を使い、RCの建物の移動や基礎ごと動かす工事などを得意とするのに対して、曳大工は小ぶりの道具を使いながら、レッカー車などの重機が入れないような現場にも対応できる。
また、単に建物を移動させるだけでなく、建物の上部構造に関する技能も持ち合わせており、
例えば建物の歪みを修正するといった工事も行うそうだ。
岡本さんの出身地は高知県。お父さんの代からの曳大工。高知県の曳大工は「土佐派」とも呼ばれ、かつては高知市近郊には専門職と呼べる曳家が13班も存在していたという。
土佐派の曳大工が活躍していた理由のひとつが、1946年に発生した昭和南海地震。高知県でも甚大な被害が発生し、住宅復興のために曳大工が活躍した。
その後、高度経済成長期に突入すると、道路拡幅工事などのために家屋を移動することが増え、曳大工の出番も増加していく。
しかし、近年では土佐派の曳大工だけでなく、全国的に曳家自体が減少している。「曳家だけを専業としているのは全国でも10社程度ではないでしょうか」(岡本さん)。
東日本大震災後の住宅復興浦安市でブルース・ウィルス気分
岡本さんが代表を務める曳家岡本が大活躍したのが、東日本大震災後の住宅復興。千葉県浦安市の災害対策本部に招聘され、液状化被害を受けた住宅の“救出〞にあたる。
当時の浦安市は液状化被害を前に絶望感さえ漂っており、「岡本さん、浦安を救ってください」と名も知らぬ女性職員からの声援を受けたこともあった。岡本さんは「気分はアルマゲドンのブルース・ウィルスでしたよ」と当時を振り返る。
3カ月程度の応援のつもりが、それから11年間も千葉で仕事をすることになった。曳家岡本は、高知県だけでなく日本全国で仕事をこなす。他の職人と共に日本全国を転々としながら、家屋や神社仏閣などの沈下修正や曳家などを行っている。
枕木3300本、ジャーナルジャッキ70台、ジャッキ330台を保有しており、倉庫なら200坪、住宅なら100坪までの建物であれば自社の資材だけで工事できる。
こうした資材を運びながら、全国を飛び回っているというわけだ。その評判は宮大工にも及んでおり、「家起こしや根継ぎをするなら曳家岡本」と言われるほど。
曳家だけでなく、建物の上部構造の修正工事を行える曳大工は少なく、大和社寺に在籍していた宮村樹棟梁をはじめ、多くの奈良、京都の宮大工からの指名を受けることからも、曳家岡本の「腕の良さ」が分かる。
岡本さんに職人として大切にしていることを聞いた。「例えば、3回で済むことでも10回かけてやるだけですよ」。自分ことを「凝り性」という岡本さん。仕事も自分が納得するまでやならいと気が済まない。
その精神こそが職人の本質なのだろう。ちなみに岡本さん、かつて曳家だけでは生計を立てることができなかった時に、音楽業界で働いていたこともあるそうだ。コンサートなどの音響を担当する仕事をしていたこともあり、その分野でもこだわりを捨て切れず、今でも倉庫にはプロ仕様の音響機器がある。
建物の処方箋を考える能力対処療法だからこそ技能と知識が必要
岡本さん達は、現場に行き現況調査を行い、建物の傾きや沈下の根本的な原因を探し出すことから仕事をはじめる。狭く、暗く、かび臭い床下に入り込み、建物の状況を調査していくと、信じられない施工が行われていることも。
「とてもプロの仕事とは思えないものに出くわすこともあります。作業手間に合しているのでしょうが、残念な気持ちになります」。
建物の状況をつぶさに観察した後は、工事の手法や方針を考えていく。まるで医師が患者の様態を観察し、処方箋を出すように。建物の容態によっても、処方箋は異なる。まさに対処療法のように建物の状況を健全化していくのだ。
対処療法だからこその難しさもある。これまでの経験や知識をフル活用しながら、治療方針を考えていくのだから、素人が簡単に手を出せるようなものではない。
時にはこうした岡本さんのこだわりが理解されないこともある。曳家の知識を持たない設計士から批判的なことを言われ、「この仕事はできない」と断ったことも、一度や二度ではなない。
「とにかく安く」と言われることも多い。「新しく作るものにはお金をかけるのに、今あるものを修理して、長く大切に使っていこうとする行為にはあまりお金を出しなくない。そういう考え方の人に我々の仕事は理解してもらうことは難しい。残念ながら、今の日本にはそういう人が多いようです」。
沈下修正工事を安く終わらせるためには、床で“とりあえず〞水平にして終わりということもある。岡本さん達は、絶対にこうした仕事は請け負わない。根本的な解決にはならないからだ。
プロの優れた技能さえも、工業製品のように「安ければ、安い程いい」と判断してしまう風潮こそが、職人を殺しているのかもしれない。
なぜ、自ら情報を発信するのか
岡本さんは、自らのブログなどで曳家の仕事を発信している。
マスコミなどにも数多く取り上げられており、「解体屋ゲン」という漫画の原作にも協力している。
「存在を知られていなければ、曳家という職業は無くなっていくでしょう。適者生存です。職人であっても社会に情報を発信し、自らの職業の意義や必要性を伝えていくべきではないでしょうか。正直、表に出ることはプレッシャーですが、ある時、ブルース・リーになろうと決意しました。彼は門外不出であった中国拳法を世界中に広めた。批判もあったそうですが、彼のおかげで中国拳法は世界的にもメジャーになったわけです」。
適者生存という言葉を重く受け止め、ブルース・リーのように、曳家の技術を伝える役割も担おうと決意した岡本さん。一緒に働く職人から、「親方が死んだら、俺が後を継ぐ」と言われたそうだ。「それだけでも幸せ者ですよ」と嬉しそうに話す岡本さんの想いは、次の世代へとつながれそうだ。
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