2019.9.4

89歳、ハマのドンのIR反対の迫力

社会資本カラオケ、港の歌に馳せる想い

それにしても迫力があった。先頃行われた横浜港運協会長、藤木幸夫氏の山下ふ頭にカジノを含む統合型リゾート(IR)建設・誘致に推進のゴーサインを出した林文子横浜市長に対する抗議、反対記者会見だ。御年89歳、ハマのドンの異名を持つ地元の政財界人で知らぬ者はいない実力者だ。ほんのわずかだが会見の模様がTV中継された。とても89歳には見えない。言葉も明瞭で、よどみもない。「山下埠頭を博打場にしない」の信念を吐露する。以前にも、「カジノは街をつぶす」とし、「横浜はそんなさもしいことをしなけりゃ食えない街ではない」など、カジノ反対での強烈な言葉が残る。当初はカジノ誘致の発言もあったが、マカオ、シンガポール、ラスベガスなど、カジノによる依存症の深刻さを学んだ末の反対運動だという。老いの一徹との声もあるが、荒くれ者が多い港湾作業者を束ねてきた横浜のドンの言葉は凄みを持つ。最近は頭を下げる情けない記者会見ばかりを見てきているだけにこの藤木氏の会見には留飲を下げる向きも多かったのではなかろうか。カジノの誘致にあたっては、政治的な思惑など、裏にオドロ、オドロしさも漂うが、ここでそれを論ずる気はさらさらない。素直に、藤木氏の「ヨコハマ愛」に感銘したということだ。

と同時に横浜港ということで思い出したのが、随分前に友人から聞いた《社会資本カラオケ》という言葉だ。道路、鉄道、空港、ダム、港湾、橋──―などいわゆる社会資本をテーマにしたカラオケの歌謡曲のことという。そしてこの中で最も多いのが、「港」の曲だというのだ。

真偽のほどはともかく、確かに港を扱った歌謡曲は多い。ちょっと思い出すだけで、「未練の波止場」「哀愁波止場≫「港町ブルース」「港町13番地」「男の港」—などなど。読者諸兄(姉)にもオハコの港歌があるのでは。港は、モノだけではなく、人の出会い、別れの場である。そこでは、百人、百様の人生模様が描かれる。喜怒哀楽が交錯する場だ。哀愁を呼ぶ、ボーとなる霧笛やドラの音が、歌や、詩や、映画にならないはずがない。駅や橋など人が往き交うインフラもさることながら、港はやはり一味違った雰囲気を持つ。海を通して遠くの異国を、世界に想いを馳せるからだろうか。港にひときわ愛着を持つ人が多いのも何となく頷ける。横浜の藤木氏もおそらくその一人であると言ったら読みすぎだろうか。

港湾都市として横浜は抜群のブランド力を誇る。社会資本カラオケだって、横浜関連の歌をあげたら、美空ひばり「港町13番地」、五木ひろし「ヨコハマたそがれ」、いしだあゆみ「ブルーライト横浜」、サザン「ダーリン」、ちあきなおみがカバーした「港の見える丘」さらに童謡の「赤い靴」「青い目の人形」だってある。ああ、忘れていた。淡谷のりこの、〈窓を開ければ港が見えるー〉の「別れのブルース」。いまだに切々と歌うお姐さん方は多い。ランク外に落としたら殺される。

まあ、ことほど左様に横浜ゆえんの、それも社会資本カラオケが多いということであり、そのブランドをカジノで壊されてたまるかというのが藤木氏をはじめとする横浜港運関係者の思いということか。IRに光と影はつきもの。アメリカのカジノ企業の影もちらつく。ただ、林文子市長は選挙の際、IRは白紙として選挙に臨んだ。IRは選挙には不利と読んだのだろう。それが当選したらゴーでは、確かに市民感情も許さないだろう。藤木氏の「そんなさもしいことを」の言葉はきつい。市民の横浜プライドに火をつけたかもしれない。

それにしても友人に教えてもらった社会資本カラオケの言葉は面白く、港の歌が多いにも納得感がある。IRの賛否を脇においても、カラオケ店で改めてミナト横浜の歌合戦が繰り広げられるのではとも思ったりして。

ついでながら、社会資本カラオケがあるなら、映画フアンとしては社会資本映画だってあるだろうといいたい。そこでも港関連の名作は数多い。マーロンブランドの「波止場」、アランドロンの「太陽がいっぱい」、ジャンギャバンの「望郷」なもどがオールドファンには懐かしく思い出される。石原裕次郎の映画にも港はよく出てきた。港は人間模様を紡ぐ絶好の舞台ということなのだろう。

今、横浜のプロ野球球団DeNAも頑張っているが、横浜スタジアムの会長も藤木氏という。横浜ブランドを背負う藤木氏の存在、一筋縄ではいきそうにありませんね。