2024.8.14

怪談話の暑気払い/夏は夏だが―

夏は夏だが―

「言うまいと思えど今日の暑さかな」の連続である。体温超えの40度C超なんて、病院に行けば絶対安静を命じられるはずだ。メディアも叫ぶ。「不要不急の外出は避けるように」「エアコンは適宜、つけるように」―。そう言えば、この言葉ついこの間も聞いたばかりのような気がする。そう、新型コロナパンデミックの折だ。この暑さはウイルスと同じで目に見えないパンデミックのようなものだ。孔子の「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し」の言葉もあまりの暑さのせいでスンナリと頭に入らない。まぁ、ヘソ曲がりはいるもので、今のこの酷暑、汗ダクで出かける山も海も遠慮したい。賢者は家の中でクーラーのきいた家の中でオリンピック観戦、読書三昧の声も。これもコロナパンデミックの時と同じようで―。住宅業界は「家がいちばん」と随喜の涙を流したくなろうというものだ。

まぁ、冗談、軽口はほどほどにしてやはり夏は夏だ。各地で花火大会が行われているし、祭りの笛太鼓も響く。子どもの頃から、そして大人になってからも、祭りの思い出は尽きない。アメや綿菓子、金魚すくい、射的などの夜店を渡り歩いたし、祭り太鼓に合わせて浴衣を着て輪になって踊りもした。興に乗って、郡上(岐阜)で下駄を鳴らしながら夜を徹して踊りつづけたこともある。

米国の思想家、ソローの名著・「森の生活」での「太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな」「その人は別の太鼓に聞き入っているのかもしれない」の言葉に納得しもする。歩調が合わない者も容認し、別の角度から評価してみることが人間同士大事ということだろう。確かに盆踊りで太鼓の音に足や手ぶりが合わない者はいる。だが、誰一人として咎めているのを見たことがない。笑顔だけがまぶしい。みんな優しい。

怪談話の暑気払い

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の快川和尚の心境には、やせ我慢と言えどもなかなか達することができないが、自分にとって夏と言えばやはりはずせないのは、妖怪や幽霊の怪談話だ。新型コロナパンデミックの時は“あまびえ”さんにずいぶんお世話になったが、背筋が氷る怪談話は夏の寄席などでは定番だ。おどおどろしくするため、鳴りモノや照明を駆使する演出も目立つ。見事な話芸はそんじょそこらの遊園地のお化け屋敷もかなわない。そして、怪談と言えばまず筆頭はやはり三遊亭円朝作の“牡丹燈籠”だろう。新三郎とお露の悲しく、切ない恋物語だ。幽霊となった薄幸のお露が恋焦がれた新三郎のもとに付き人のおよねを連れて毎夜のように訪れる。新三郎は幽霊と思わずに家に招き入れるが、新三郎は日に日にやせ衰えていく。近くの寺の住職がお露の幽霊であることを教え、家の周りに除霊の札を貼り、家に入れないようにする。恨みに思うお露は隣人に百両のお礼をするからとお札をはがすことを頼む。家に入れたお露の幽霊に取りつかれた新三郎はついに命を落とす。百両を得て逃げた強欲の隣人も、やがてその報いを受ける―といった筋だ。

男女の一途な恋といった人情噺に加えて幽霊を背負った恐怖と因果応報を描くユーモアが交じる。そしていちばん恐ろしいのは幽霊ではなく、実は人間で、幽霊の上前をはねる人間の強欲さに溜息をつく。恐ろしさで誰もが身をこわばせるのが毎晩、カラン、コロンと下駄の音をさせながらやってくるお露とおよねの登場シーンだ。斜に構える連中は、足のない幽霊がなんで下駄の音をさせるのだ、とチャチャを入れるむきもある。だが、洋画だって“ジョーズ”はサメが近ずくとズン、ズン、ズンと不気味な音楽を響かせ、来るぞ、来るぞと観る者に恐怖心をあおるではないか。下駄のカラン、コロンと同じだ。カラン、コロンが幽霊への恐怖心と恋い焦れる一途なお露の思いをより際立たせる大きな効果をあげている。「目を閉じて聞きさだめたり露の音」は円朝の辞世の句とされるが、牡丹燈籠の幽霊、お露からの叫びでもあろう。

それにしても、三大怪談話と言われる牡丹燈籠の死してなお愛する男を求めたお露さん、四谷怪談の夫に裏切られたお岩さん、皿屋敷の無念の思いのお菊さんと、いずれも女性の情念のすさまじさを思い知る。背筋を寒くしている御仁もおられるのでは。当然ながら外野席からは男の情念だってあるさ、の声もあるが、やはりストーカー騒ぎぐらいで少しも面白くないし、粋じゃない。幽霊という異界では女性がやはり主役なのだ。

猛暑のなかでのヤケッパチな物言いばかりになったが、まぁ、これも暑気払いということで―。ただ、ここで住宅設計を数多くこなす建築家からの発言。「冬に設計すると冬向きになり、夏は夏向きになりがち」とか。季節の体感が無意識に脳に影響し、設計図を左右するのだろうか。もっとも最近は省エネの加速もあって高断熱高気密の住宅が普及。かつて唱えられた「夏には風通しを」の言葉も影をひそめ、クーラーの空調効率を高める方向へとカジを切る。設備過剰の声さえも出るが、熱中症警戒アラートが連日、発せられる状況では声も小さくなろうというものだ。

ここでは、お露さんも嘆かざるを得ないだろう、徹底した高断熱高気密住宅では除霊のお札が家の周りに貼ってあろうと、なかろうと、とても家の中に入り込む隙間がない―と。祭りの笛太鼓も聞こえず、雨の降る音や吹く風も感じない情緒の乏しい住まいづくりのもとで、芭蕉の「山は静かにして性をやしない、水は動いて情を慰む」といった自然観も今は遠い日の花火ということなのだろうか。