発達障害の息子と父親を描く、優しくほろ苦いイスラエル映画
「靴ひも」を結べますか?――運命を変えることがある
コロナ禍のなか映画を見る機会も随分制約されてきたが、9月に入って日本記者クラブでの映画試写会が再開された。同クラブでの試写会は、シネコンなどで上映されるメジャーな作品は少なく単館クラスでというのが多いのだが、佳作がラインアップされているのがありがたく、魅力の試写会だ。今回のイスラエル映画「靴ひも」もそう。ここ数年、イスラエル映画は世界各国の映画祭で高い評価を得、受賞作品も多いのだが、なかなか見るチャンスがなかっただけに、ここはイスラエルという国、社会、風土、文化などを知り、イスラエル映画の特徴や雰囲気をうかがい知るチャンスとばかりコロナ緊急宣言解除後の初の映画鑑賞となった。大体、不勉強のせいもあり、イスラエルはパレスチナとの紛争が続くユダヤ教の国というイメージで、映画も政治色や宗教色の濃いものが多いのかとも思っていた。ところが、この「靴ひも」を見てイスラエルという社会、そしてイスラエル人への認識を良い意味で改め、高めることができ、翻って日本という国、そして我々日本人の忘れ物、落とし物を気づかせてもくれたという点でも新鮮で、うれしい映画だった。
「靴ひも」は別れた妻の突然の死で発達障害の息子と同居せざるを得なくなった初老の父親を軸に展開する家族の物語だ。30年ぶりの共同生活で戸惑いを隠せない父親だが、発達障害ながら、純粋でまじめで人の心をくみ取ることができ、自らを歌手と名乗るほど音楽好きの優しい息子への愛情が徐々に芽生えていく。息子も父親を友達、同志と呼ぶほどになついでいく。発達障害としてのちょっと変わった言動に周囲が面食らう場面もあるが、二人を囲むレストランや近隣の人たちの優しさが印象的だ。
題名の「靴ひも」は息子が直面する重要な場面で、靴ひもを結ぶことの意味を示すものとして象徴的に描かれる。最初は発達障害者としての特別給付金を得るために靴ひもを結べないことが目安の一つになるため、息子は結べるのにあえて結べないふりをする。そして2回目は──―。
父親と息子の同居生活はやがて暗転する。父親が重度の腎不全と診断され、人工透析での完治は無理で腎臓移植が必要と診断される。ドナーとして医師や周囲から息子の名が上がるが、父親は当初わが子からの腎臓移植は不憫であるとかたくなに拒むが、自分の腎臓が必要であることを察知した息子は強く腎臓提供を申し出る。この腎臓移植をめぐっての父親と息子の葛藤がこの映画の見どころの一つだが、父親が拒むのは自分が息子として、家族として愛されていないからと思い詰め、発作を起こすなど体調を悪化させる。ついに父親は息子の腎臓移植を受け入れる。そのための適合検査もパスする。だが、新たなハードルが立ちはだかる。特別支援を必要とし理解力に乏しいとみられる子供が、後見人である父親のドナーにはなれないとして却下される。だが、息子はあきらめず、行政の担当者や専門家たちに自分の健全性を訴える。担当者はそれではと息子に靴ひもを結ぶように指示する。だが、この時に限って焦り、結べない。一回目はわざと結ばなかったが、二回目は、結べなかったのだ。運命のいたずらとしか言いようがない。そして3回目は──―。
息子の懸命のアピール、さらには父親、息子と親しいソーシャルワーカーの努力で腎臓移植は実現する。二人が手術に向かうとき、息子は父親を勇気づける。だが、移植は失敗。父親は不帰の人となる。だだ、映画は一人残された悲しみの息子の姿は描かない。独り立ちし、生き抜く姿を描く。自らかつて一時入った障害者の自立支援コミュニテイに向かう。その覚悟と決意のしるしとして3回目の靴ひもを結ぶ場面が描かれる。全く意識をすることなく、難なく靴ひもを結ぶ。未来に向かって力強く歩いていくことの象徴としての靴ひもなのだ。ラストシーンは家族を希求するかのように彼女になってほしいとプロポーズした同じコミュニテイの女性と手をつないで並木道を歩いていく後ろ姿──―。
発達障害者という暗く、重くなりがちなテーマながら、父親のわが子への思いや周囲の人たちの優しさがにじみ出る温かさが印象的な映画だが、同時に発達障害にたいする理解を深めることのできる内容になっている。発達障害と一口に言うが、外見だけではわかりにくく、周囲も本人も気づかないこともあるという。障害とそうでない人の境目もはっきりしていないといわれる。映画でもその境目がはっきりしない場面がいくつも出てくる。だが一見、非常識とみられても誠実で純真さがにじみ出る。映画ではその辺がユーモアを交えて、温かく表現されている。さらに家族を大事にするイスラエル社会の一方で、移民社会でもあるイスラエルのユダヤ民族間の宗教面での微妙な違いもうかがい知ることができる。
日本でも発達障害者支援法が施行されており、その数は人口の10%といわれるほど多い。だが、発達障害の本人に対してはもとより、家族へのいわれない偏見、無理解が散見されることも事実。この映画には、そんな社会の障害を払しょくするきっかけになればとの想いが込められていることもひしひしと伝ってくる。映画の監督自身が発達障害の子を持つということを聞けばなおさらだ。映画は10月から全国で順次ロードショーの予定。
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