日頃から書きなぐっていた取材ノートや備忘メモに埋もれていた諸々を拾い、不定期で自由気ままに綴ってみようと思います。落ちこぼれた種から何か芽が出てくるかな——。

古川興一ブログ「落ち穂ひろい」
落ち穂ひろい |  2019.7.1

YKK前沢ガーデン野外ステージの杮落とし

舞台芸術の国際的祭典「シアター・オリンピックス」のプレ公演 鈴木忠志の演出、日本・インドネシア共同制作「ディオニュソス」

薄暮の中で始まった。空にはまだわずかながら青空が覗く。なだらかな丘陵を覆う緑の芝生が鮮やかに目を射る。迫力ある動きとせりふをぶつける演者、遠く緑の丘の上にポツン、ポツン撒かれたかのように赤と白の衣装をまとい、静々とそして厳かに舞うかのように演ずる女人たちーー。やがて漆黒の夜の闇が舞台を包む。時間の移りゆく中で醸し出す幻想的なグラデーションの妙も演出のうちか。野外ステージならではの演劇の魅力があった。この8月から開催されるシアター・オリンピックス2019の黒部会場となるYKK前沢ガーデン野外ステージ完成を記念しての劇団SCOT主宰の鈴木忠志、演出による日本・インドネシア共同制作の演劇「ディオニュソス」の公演だ。

演劇界で異才とも評される鈴木忠志の演出ならではの演者たちの重心をしっかり保つぶれない確かな所作、そして叩きつけるような力強いせりふなど、世界に知られる鈴木メソッドが息づく。ギリシャ悲劇「ディオニュソス」は鈴木の人気の舞台だが、今回は日本、中国、インドネシアの俳優によって上演される。劇の中核をなす僧侶6人がインドネシアの違う島出身の俳優たちで、それぞれの島の言葉で話すという多言語上演も見どころだ。

薄暮の中、幕を開けた「ディオニュソス」
漆黒の中、舞台は佳境に

演劇の解説は他者に譲るとして、ここで触れたいのは、YKK前沢ガーデン野外ステージだ。フアスナー、窓建材で世界的に知られるYKKの本拠地は言わずと知れた富山県黒部だ。生産、研究開発の拠点であり、最近では本社機能の一部も東京から黒部に移した。そこに滲むのは、黒部への吉田忠裕YKK取締役の郷土愛だ。社長、会長を退き、平取締役の身を楽しんでいる吉田氏だが、その空き時間を狙ったかのように舞い込んできたのが鈴木忠志が芸術監督を務める第9回シアター・オリンピックスの実行委員長と言う役柄だ。

鈴木忠志率いる劇団SCOTが、活動の本拠を東京から過疎の村、富山県利賀村に移したのが1976年。合掌造りの古民家を劇場に改造して演劇活動を開始し、今では6つの劇場、稽古場、宿舎などを擁する世界に類を見ない舞台芸術施設群を築き上げ、利賀村は世界の演劇人から「演劇の聖地」とまで呼ばれるほどになっている。この長い歳月における富山での活動を通じてYKKの吉田氏と接点を持つようになる。家族ぐるみの付き合いも。吉田氏は鈴木氏のことを「本当に敬愛する方」と言ってはばからない。

その鈴木氏が想いを込めて誘致したのが第9回シアター・オリンピックス。1993年に鈴木氏ら世界で活躍する演出家、劇作家により創設された国際的な舞台芸術の祭典だ。これまでに8カ国で開催されているが、今回が大きく違うのは、ロシアの希望で、日露の共同開催となったことだ。ロシア、プーチン大統領の強い意向と言われ、ロシア会場はサンクトペテルブルク。1月の安倍首相・プーチン大統領の首脳会談でプーチン大統領からシアター・オリンピックスの話題が出たと言う。日露文化交流に一石を投じたと言えるだろう。鈴木氏にとっては、80歳を迎えた今、今回のシアター・オリンピックスは、自らの演劇活動の集大成的な意味合いを持たせているような気もする。成功にむけて吉田氏に支援を求めたのも必然の流れといえよう。「鈴木さんのお役に立つなら」と、吉田氏は実行委員長の役を引き受け、寄付金募集から宿泊施設の手配、アクセスの確保まで黒子として裏方役を務める。と同時に会場について、メーンの利賀に、新たに黒部を加え、候補地に前沢ガーデンハウスの提供を申し出た。

YKK前沢ガーデン野外ステージ(シアター・オリンピックス ウェブサイトより)

前沢ガーデンハウスは、創業者の吉田忠雄氏が、温泉を掘ってYKKの迎賓館を作る計画だった。だが結果、温泉は出ず、忠雄氏は建設意欲が萎え、忠裕氏に「地域に役立つように使え」と後を託した。建築好きの吉田氏は自らをプロデューサとしてゲストハウスの設計を槙文彦氏に委嘱、キュービック状の端正なフォルムは、日本建築家協会賞を受賞した。8500㎡の敷地には、野外ステージもある。だが実際には、このガーデンハウス、社員研修や、地域の人々への開放などに細々と使われる程度で、むしろ宝の持ち腐れ状態。ところが現地を視察した鈴木氏は、ゲストハウスもさることながら、自然に囲まれ、なだらかな起伏を持つこの緑地にすっかり惚れ込み、シアター・オリンピックスの野外劇場としてむしろ吉田氏に懇請する。

「これでガーデンハウスに新しい息を吹き込むことが出来る」と吉田氏は率直に喜びを見せる。鈴木氏の意向を汲みいれながら、野外ステージの改修、緑地の整備などに取り組み、後背地に緑の丘を持つ300人収容の美しい野外ステージを完成させた。また、前沢ガーデンハウスから野外ステージまで緩やかなスロープのアプローチを歩くが、上り詰めた途端に眼前に半円形の観客席とステージが姿を現わすというランドスケープも印象的だ。これから繰り広げられる華やかな演劇への期待感を膨らませる。これも演出だろう。ソフトの演劇とハードの舞台という二つの創造空間が一体になる舞台芸術の素晴らしさ、重みをつくづく感じる。完成した野外ステージについて鈴木氏は「後背地の丘から俳優が出てくるなど、大宇宙を感じさせる世界中にも無い素晴らしい舞台」と絶賛する。

プレ公演ながらシアター・オリンピックスを一足早く体感する贅沢を味わったが、記者にとっては、この前沢ガーデンハウス、野外ステージがシアター・オリンピックスのレガシーとして今後どのように利用されていくかも興味深い。吉田氏の演劇、オペラ、音楽など芸術への造詣は深い。その様々な芸術シーンでこの黒部の前沢ガーデンの名が出てきそうな予感がする。工業化を極めるフアスナー、窓の文明に、演劇など芸術と言う文化をも織り込もうというYKK・黒部にまだまだ目が離せない。

ちなみに今回のシアター・オリンピックスのテーマは異質の文化や価値観を繋ぐという意での「CREATING BRIDGES」。分断化する国際社会、孤性化社会、大都市と地方の格差などにどう橋を架けるか。今を生きる我々に多くを訴える舞台芸術の祭典となりそうだ。8月23日から9月23日まで。世界各国の舞台芸術家による30作品が上演される。

公演後、スタンディングオベーションの中挨拶する鈴木、吉田(左)の両氏