日頃から書きなぐっていた取材ノートや備忘メモに埋もれていた諸々を拾い、不定期で自由気ままに綴ってみようと思います。落ちこぼれた種から何か芽が出てくるかな——。

 

アイヌから見た北海道150年 サイレント・アイヌの痛み、悲しみ


平成最後の2018年は明治2年に北海道と名付けられてから150年と言うことで、北海道では様々な行事が行われたようだ。ともするとお祭り気分になりがちだが、その中でアイヌの歴史と社会制度について真摯に情報発信を続けているのが、自らアイヌの血を継ぐ北海道大学大学院専門研究員の石原真衣さん。「アイヌと言うことばを発することが出来ないまま歳月を過ごしてきた」という痛みを素直に語り、自らを「アイヌでも倭人(日本人)でもない“透明人間”、“あいだの人”になっていた、と表現する。日本記者クラブが石原さんを招いての会見のひとコマではあるが、東京と言う大都会で暮らしアイヌと言う民族に想いを寄せることなどほとんど無い我が身にとっては思わず襟を正し、背筋を伸ばさせる言葉の連続がそこにはあった。

アイヌの150年はアイヌを意識しないようにし、息をひそめて生きてきた時代だったという。石原さん自身、自分がアイヌであることを母から知らされたのは12歳のときだったと言う。祖母も、母もアイヌの血を消そうと倭人と結婚し、あえてアイヌの伝統、歴史、文化を遠ざけてきた。石原さんもアイヌの文化などを全く知らされぬままに過ごした。倭人との同化が、次世代の幸せに繋がるとの親たちの考えからであった。だが、そのことが社会の中で沈黙を余儀なくする状況を作り出していく。アイヌの出自を持ちながら、アイヌの歴史や文化を身につけるわけでもなく、家族ともアイヌの問題を語ることなく、アイヌの人たちとの交流も無いーーー。石原さんはこうしたアイヌを[サイレント・アイヌ]と呼ぶ。そして、今なお、多くのアイヌの血を受け継ぐ人たちが、サイレント・アイヌに陥っていると言う。 

北海道と名付けられた頃には少なくとも1万6000人以上はいたとされるアイヌ民族だが、今は1万人強に減少している。だが、ここにはこのサイレント・アイヌがカウントされていない。たくさんの隠れアイヌがいると石原さんは見る。その数10万人以上とも推測する。北海道150年のお祭りには同調できない人は多いと言う。大変な目に遭ってきたとの思いがあるからだ。北海道の開拓の歴史はその一方で、アイヌの人たちには永く、暗い影を落としてきた苦難の歴史だったからだ。

1997年の[アイヌ文化振興法]がこの2019年4月にいわゆる[アイヌ施策推進法]施行へと移行した。これについても石原さんは「アイヌ出自の人間にとってこの法律は自己の歴史を、自分の存在からさらに遠ざけるもの」「アイヌであることが多様性を管理された文化に限定されている」と疑問視し、歴史にもとづく社会の理解には届かない法律、とも。 北海道150年と言う節目に、アイヌと言う民族問題の痛みを石原さんから突きつけられた。いま外国人受け入れによる移民社会が現実化し、さらにLGBT問題などの論議なども深まる。社会は多様性をいかに認めるかの時代に入りつつある。多文化共生の重要性は言うまでもない。だが、もしかしたら、それも見せかけの、お題目だけの表面的な議論でしかなく、それどころか社会の分断を生み出しかねない危うさを持つことに気がつかずにいるのかもしれない。「サイレント・アイヌ」に限らない。様々な分野にいる「サイレント・ピープル」「あいだの人」が両極を繋ぐ人たちとなり、社会の発展を促す方向へと誘導することが求められる。もっともっと深いレベルでの共生社会の論議を重ねなければならないのだろう。石原さんの話を聞きながら、これはもう「ボーと生きてんじゃねーよ」と叱られそうで、思わず首をすくめた。

日本記者クラブで行われた石原真衣さんの会見

住まいの最新ニュース

地域のニュース

外部サイトへのリンクです