日頃から書きなぐっていた取材ノートや備忘メモに埋もれていた諸々を拾い、不定期で自由気ままに綴ってみようと思います。落ちこぼれた種から何か芽が出てくるかな——。

 

松下幸之助、豊田喜一郎の想いを繋ぐ パナソニック、トヨタ自動車の住宅事業統合

  


住宅産業界に衝撃が走った。10連休ボケを吹き飛ばすかのような5月9日のトヨタとパナソニックの住宅事業統合の発表だ。両者が合弁会社を立ち上げ、住宅関連の子会社をそこに移管するというのだ。その子会社は、トヨタホーム、ミサワホーム、パナソニックホームズであり、3社を合わせた戸建て住宅の販売戸数は年間1万7000戸となり、わが国トップメーカーにのし上がる。合弁会社の狙いは、住宅を核にしながらも、街づくり事業の展開にあるとしており、その意味でわが国を代表するトヨタ、パナが乗り出す令和新時代の街づくりの姿にわくわく感を抱きたくもなる。

だが、別の面から両社の住宅事業統合にある種の感慨を禁じえないのも事実。というのも戦後の日本経済を牽引し、経済立国の立役者であった、経営の神様と言われたパナソニック(旧・松下電器産業)の創業者、松下幸之助氏とトヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎氏の住宅に賭けた想いの深さを知るからだ。電器、自動車で世界に名をとどろかせた両氏だが、その一方で、戦後の住宅難の中で、住宅事業に大きな夢を描いていた。

豊田喜一郎氏は住宅復興のための住宅供給として住宅の不燃化と工業化の重要性を訴え、コンクリートによる住宅を開発、米軍住宅にも採用された。出来具合を心配し、喜一郎氏は、何回も建築現場に足を運んだと言う。その建築技術は建設省の目に留まり、建設省(現・国土交通省)幹部が豊田喜一郎氏を訪ね、国が進める量産化する公営住宅の建設に技術開示を要請した。豊田氏は住宅復興のためまさに身を削る思いでその要請に応えた。日本の工業化住宅の草分けは豊田喜一郎氏という指摘もそこから来る。トヨタの住宅への思いは章一郎氏、そしていまの章夫氏へと続いている。

松下幸之助氏も戦後の住宅難を背景に住宅事業に大いなる熱意を見せた。戦後の日本人の心の荒廃は日頃の生活への不満からとし、「住宅事業は救国の事業」と位置づけ、住宅事業に乗り出した。試作住宅を視察したとき、担当者が靴のままどうぞと案内したとき、「住まいにあがるとき、靴を脱ぐのは日本の常識。土足は失礼だ」と靴を脱ぎ室内を見て回ったとのエピソードが今も残る。住まいの意味をそれほど重く受け止めていたと言うことだ。松下幸之助氏は、いまの業界団体、プレハブ建築協会の前身となるプレハブ建築懇話会の初代会長を務めてもいる。

豊田、松下と言う戦後の日本経済の立役者らが想いを込めた住宅事業。昭和40年代となり、住宅産業として脚光を浴びる。だがその中で、トヨタホームは住宅産業界で存在感を強めるまでにいかず、ミサワホームを傘下におさめたものの明確なシナジー効果をいまだ十分に発揮してはおらず、パナソニックも創業当時の勢いを失っている。積水ハウス、大和ハウスを凌駕するまでには行かない。縮小化するマーケットの中、両社の展開が注目を集めるのは当然といえば当然であった。

そこにおいてのこんどの両者の住宅事業の統合である。ある意味、創業期からの両社の住宅事業に対する執念のようなものさえ感じもする。いま、パナソニックの津賀社長、トヨタ自動車の豊田社長は、松下幸之助、豊田喜一郎の祖にどう報告したのだろうか。両先達は笑みを浮かべているのだろうか。それとも住宅を含む街づくり事業の姿、形がこれからどう輪郭を現すのか、それが見えてくるまではと、笑顔は抑えているのだろうか。 それはともかく、両社の今度の住宅事業の統合が、更なる業界再編成の呼び水となり、住宅産業地図を大きく変えそうな気がする。それどころか、住宅を包含する新しい街づくり産業がわが国に勃興する引き金になる予感さえもする―。

  

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