日頃から書きなぐっていた取材ノートや備忘メモに埋もれていた諸々を拾い、不定期で自由気ままに綴ってみようと思います。落ちこぼれた種から何か芽が出てくるかな——。

 

兜太 他界からの眼差し


戦後の俳壇をリードした金子兜太が逝ってから1年。2月20日の命日に日本記者クラブで兜太を語る会とドキュメンタリー映画『天地悠々――兜太・俳句の一本道』の完成試写会があった。

兜太フアンは多い。自分も兜太の句や生き様は好きだった。前衛俳句の旗手とも呼ばれたが、句には素朴で骨太の叙情があった。俳諧自由を標榜し、自由に見たままを説いた。時には季語さえも無用とした。「もっとおおらかに自由に」と言い、「自己表現のためにはもっと馬鹿にならないと」と、日本人の持つ小さな辛気臭さを戒めもした。

俳句は瞬間の美を捉えた世界で最も短い日本独自の定型詩だが、「独自というのは何だという自問自答しなければ道は開かれない」と言いながら、海外への俳句普及にも力を注いだ。今や、200万人を下回らないとも言われる海外の俳句愛好家に対する兜太の功績は少なくない。

ただ、自分には兜太は戦争を憎む戦争体験者ならではの姿も浮かぶ。長野県上田市に戦没画学生の遺作・遺品を収蔵、展示したミュージアム『無言館』があるが、庭には兜太の書になる『俳句弾圧不忘の碑』が建つ。治安維持法による俳人らに対する言論弾圧の忌まわしい事件を忘れないようにとの碑だ。

また2015年の安保関連法案の反対デモが起こったとき、『アベ政治を許さない』のプラカードを覚えている人も多いと思うが、この文字は兜太の手によるものだ。〈佐義長や武器と言う武器を焼いてしまえ〉の句も。

小林一茶を愛し、「荒凡夫」の言葉を好んだ。『荒』は自然と重なる。何ものにもとらわれず、生きる一茶の姿への共感だろう。98歳での大往生。晩年語っていた亡くなっても命はなくならない。他のところで生きている――との他界説に共感する人も多い。命は場所を変え、姿を変えて移っているだけ――。亡くなって1年。確かに兜太の凄みは歳月と共に他界から重さを加えていると感じずにはいられない。〈春落日 しかし日暮れを急がない〉。

映画『天地悠々 兜太・俳句の一本道』公式サイトより(https://tota-tenchiyuyu.com/)

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